スタッフが綴る日々の出来事

作成日:2024年05月01日
分布調査を行いました。

 むきばんだ史跡公園では、妻木晩田遺跡のことを解明するために日々、調査研究を進めています。例えば、竪穴住居の利用方法はどうだったのか、どのような食生活であったのか、道具として使う石はどこで拾ってきたものだったのかなど、様々なことについて研究しています。
 この調査研究を行う上でもっとも重要なものは、発掘調査で得られた資料になります。考古学とは、もともと人が残した「もの」について観察し、考察して、人の歴史について明らかにしていく学問です。なので、発掘調査で得られた資料が重要となるわけです。
 ところで、皆さん少し疑問に思うことはありませんが?「どうして発掘調査を行うと、いろんなものが発見されるんだろう。もしかして、竪穴住居跡などがある場所がわかるんだろうか?」と。じつは、発掘調査を行って竪穴住居跡などを見つけることができるのは、こんな理由があるからです。
 発掘調査を行う場所は、やみくもに決めるものではなく、周囲に土器などの遺物が落ちていないか、地形に変化(例えば、古墳のように盛り上がっている箇所や竪穴住居が埋まりきらずに窪んでいる箇所など)がないかどうかを調べ(この調査のことを分布調査と言います。)、人の活動の痕跡が残っていそうな場所に試掘調査といって最小限の範囲の調査を行います。そこで痕跡が残っていれば、本格的に発掘調査を行っていくのです。
 前置きが長くなりましたが、今回、発掘調査を行う際の前段階の作業として、分布調査を行ってきました。分布調査を行った範囲は、松尾頭地区と松尾城地区の2カ所です。松尾頭地区は、大型の竪穴住居跡や大型の庇付掘立柱建物跡などが見つかっており、妻木晩田遺跡内の首長層の居住域と目されている場所です。また、松尾城地区は比較的高所の細い尾根筋上に竪穴住居跡が見つかっている場所であるほか、曲輪状の段がいくつもあり中世の山城があったのではないかと考えられている地区です。
 松尾頭地区では、竪穴住居跡が埋没しきらず窪んだ状態となっている箇所を確認したほか、松尾城地区では複数の段を確認しました。松尾城地区で見つかった段の大半は、山城に伴うものではなかったのですが、1箇所だけ山城としてもよい場所がありました。
 見つかった場所については、ひとまず場所を記録しておいて、また冬になったら詳しく現地を歩いて調べていく予定にしています。

 余談ですが、分布調査は暖かい季節には行わず、寒い時期に行うことが多いです。これは山の中に結構、ダニとかが生息しているためです。当日は晴れて暖かい一日だったので歩きやすかったのですが、一部シダをかき分けて進んだ場所があったので、服にいっぱいダニが付着してしまいました…。皆さんも山の中に入るときは注意しましょう。

窪地として残る竪穴住居画像

窪地として残る竪穴住居

 

【休園日】

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