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第7話「工業化の主役?―100年前の製造業就業者―」

 問題です。100年前、県の製造業で就業者が一番多かった業種は?

 国勢調査では、人びとの就業状況を調べています。働いているかどうか、どんな産業に従事しているのか、どういった役職にあるのか―。調査結果は、時代時代の労働環境や産業構造を知る上で欠かせない基礎データとなっています。

 さて、第1回国勢調査の行われた1920(大正9)年といえば、明治維新から日清・日露戦争や第一次世界大戦を経て、日本の工業化がかなり進んだ時代です。その頃、鳥取県の製造業のなかで最大の就業規模を有していた業種、いわば工業化の主役は何だったのでしょうか?

製品のイメージ

 直近の2015(平成27)年調査によると、県内で就業者の多い製造業の業種(中分類)は、「食料品製造業」、「電子部品・デバイス・電子回路製造業」、「電気機械器具製造業」など。このうち電子・電気系の業種については、第二次世界大戦後に普及・発展したものであり、大正時代に多くの就業者がいたとは考えられません。とすると、答えは食料品製造業でしょうか?

 いえ、そうではなかったのです。

製品のイメージ

 答えは、繊維工業でした。

 次のグラフには、1920(大正9)年調査によって、県の製造業の有業者数を業種別(中分類)に示しています。最多は「繊維工業」の7,415人。就業規模から見たとき、当時における製造業の主役は繊維工業だったのです。

鳥取県の製造業の業種別有業者数:1920(大正9)年―本業者のみ 鳥取県の製造業の業種別有業者数:1920(大正9)年―副業者を含む

 もっとも、少し但し書きが必要でしょう。

 実は、ここでいう有業者数は、各業種に本業として従事している人たちだけの数字です。グラフ下のボタンをクリックして、表示を切り替えてみてください。副業として従事している人たちを加えた場合、「木竹類ニ関スル製造業」の11,100人(本業者5,591人+副業者5,509人)が繊維工業を上回って最多となるのです。

 「木竹類ニ関スル製造業」と当時の言葉でいっても、具体的にどのような製品を作る業種なのかイメージしにくいかもしれません。細かい分類表を確認すると、角材・板材、家具・建具、樽・桶、漆器、藁細工、畳・茣蓙など、樹木や草類を素材とする種々雑多な製品の生産活動をひとまとめにした業種だったようです。

 これと対照的に、繊維工業の場合、県内の本業者のうち約85%(6,274人)までがシルク糸の生産(製糸業)に従事していました。当時、全国的には綿糸や織物の生産に従事する人も多くいましたが、鳥取県では、繊維工業といえばシルク糸というほどの特化だったのです。

 このように細かい分類で見ると、製糸業こそが鳥取県の工業化の主役でした。

 なお、現在の統計によれば、県内でシルク糸の生産は確認できません。そのためか、かつて県の工業化を製糸業が支えた事実も忘れられがちです。第1回国勢調査の結果は、そうした産業史の一コマを100年後のわれわれに思い出させてくれます。

グラフ注

内閣統計局『大正9年国勢調査報告 府県の部 第30巻(鳥取県)』(1925)pp.112-113から作成。

なお、当時の産業分類は現在と異なります。グラフでは、当時の大分類「工業」のうち、中分類の「土木建築業」と「瓦斯,電気及天然力利用ニ関スル業」を除いた部分を製造業として計上しました(現在の建設業と電気・ガス・熱供給・水道業に該当するため)。中分類でも現在と異なる部分はありますが、組み換え等はせず、当時の資料のままにしています。例えば「繊維工業」には、現在のサービス業の一部(洗濯業など)が含まれる一方、衣服や帽子の製造が含まれません(「被服・身ノ回リ品製造業」に分類)。

データダウンロード

 もう一点、100年前の工業化の主役として製糸業を推したい理由があります。それは「工場」生産の進展です。

 この点については、「工場統計表」という資料をひもといてみましょう。5人以上(1日平均)の「直接作業ニ従事スル者」を有する工場が調べられた統計です。それによると、1920(大正9)年末現在で県内に該当の工場は全部で169か所ありましたが、そのうち約4割に当たる66か所が製糸工場でした。その1工場当たり「直接作業ニ従事スル者」数は約74人で、かなり大規模な工場が多かったようです。

 一方、「木竹類ニ関スル製造業」関連工場は17か所、1工場当たり「直接作業ニ従事スル者」数は約8.7人。比較的小規模な作業所での伝統的な職人仕事という印象を受けます。また、先ほどのグラフから分かるように、相当部分は農家の副業などとして担われていました。

 生産の規模や形態という部分でも、製糸業の存在感が目立っていますね。

山陰製糸合名会社の外観写真(鳥取県立公文書館所蔵)

1907(明治40)年頃の山陰製糸合名会社の工場外観(鳥取県立公文書館所蔵「因伯名蹟」所収の写真)。同工場の所在地は、当時の東伯郡倉吉町(現倉吉市)。

日本製糸株式会社米子工場で働く工女たちの写真(鳥取県立公文書館所蔵)

昭和初期の日本製糸株式会社米子工場で、繰糸工程に従事する工女たちの様子(鳥取県立公文書館所蔵「郷土写真帖」所収の写真)。同工場の所在地は、当時の西伯郡米子町(現米子市)。

  

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