第153回県史だより

目次

鳥取県の公報と広報(戦前編)

 今月(平成31年3月)の「県政だより」は、公文書館の特集号です。「歴史の証しを伝え継ぐ~記録提供の窓口、公文書館~」をテーマに、県庁の文書管理のしくみと公文書館の理念・活動・活用例・利用方法等を紹介しています。

 この号の表紙を飾る資料はすべて公文書館が所蔵する県の記録文書で、年代順に、1『明治九年 鳥取県庁日誌』、2『大正十三年 重要日誌』、3『昭和四年 鳥取県公報』、4『鳥取県民時報』(昭和30年1・2・3月分)です。戦前と戦後の2回に分けて公文書館が所蔵するたくさんの記録のなかでこれら公報・広報・日記のもつ意味を考えてみたいと思います。

写真1
写真1 県政だより平成31年3月号表紙の写真

1.『明治九年 鳥取県庁日誌』~行政実務の共有

 表紙には「明治九年分 鳥取県庁日記 従第一号至第十三号」とあるので、一見すると単なる業務日誌のようにも思えますが、内容は県から各区や郡に出した例規や、逆に区からの伺いに対する県からの指令などの写しで、手書きではなく活版印刷されたものが5日ごとにまとめて綴られています。発行経緯は「鳥取県史料」に次のように記載があります(注1)

(明治九年)六月六日 本月ヨリ当庁日誌ヲ編纂刷行シ、以テ各大小区ヘ頒布スルコトヲ定ム。書法ハ其体例ヲ 官省日誌ニ準拠シ而、本県ノ 諸布達・官員任免及ヒ正副区長学区取締転免其他伺願書中異例ノ指令又最大ナル章典等毎月六回之ヲ纂修印刷ス。(中略)而之ヲ各区ヘ配布スルモノハ彼我迭(タガイ)ニ不了解事ヲ審知シ、以テ 執務上ノ便宜ヲ得セシメンカ為也。則達書ニ云フ、当庁日誌来ル十五日ヨリ逐次活版上梓各大小区ヘ一部宛頒布候条、為心得相達候事。但シ、日誌中ノ各事務ニ於テ彼我ノ例規ヲ徴シ、専ラ施設敏捷ヲ要スト雖モ、 其権限外ニアル事務ノ如キハ、直ニ之ニ準拠施行候儀ハ不相成、必ス伺ヲ経可申事。

 「官省日誌」とは明治政府の太政官・各省が所管する法令や公告等を印刷し、府県に送付したものです(注2)。鳥取県はこの「官省日誌」にならって、県の布達や県吏員・区長の異動などのほか、人民からの伺いや願いに対する指示のうち異例のものを選び、編纂・印刷して各区に配布したのです(注3)。県や郡の官吏が行政の実務実例を共有し執務上の参考にすることで、行政の適正化・効率化を図ろうとしました。(ただし、先例を参考にするといっても所管外の事項はちゃんと伺いの手順を踏んでから行うようにと釘をさしています。)

 「鳥取県庁日誌」は行政の内部向けの文書ですが、主要な例規の伝達という点では、鳥取県公報に連なる性格のものといえるかもしれません。なお明治9(1876)年分は第1号から第13号(明治9年6月7日~同8月20日)を収録しますが、これ以後は残念ながら当館に残っていません。8月21日に鳥取県が廃止されて島根県に併合したためと思われます。

2.『大正十三年 重要日誌』~知事の行動記録

 『重要日誌』は、知事官房秘書係の係員が作成した文書で、大正13(1924)年1月から12月までの一年間の知事・内務部長・官房主事の動静が日ごとに記録されています。浄書されず墨筆であることから、日々書き継がれたものでしょう。

写真2
写真2 大正13年「重要日誌」の拡大

 欄外に「官房主事」が確認印を押しています。写真部分の主な記載内容は次のとおりです。


四月二十六日 曇 土曜
一、内務部長ハ午前(空欄)時鳥取発ニテ西伯郡米子町徴兵検査状況視察、 知事、官房主事出勤

四月二十九日 晴 火曜
一、知事、内務部長、官房主事出勤
 午后三時三十四分鳥取発ニテ岡野前文部大臣通過ニ付知事、内務部長共鳥取駅ニテ送迎セラル

五月一日 晴 木曜
一、知事、内務部長、官房主事出勤
 午后三時頃前湯浅警視総監来庁、知事ニ面談シ儀式場ニ於テ林務主任官会議開カル

 

 4月26日の徴兵検査は、兵役法に基づき満20才(徴兵適齢)に達した男子に実施された身体検査で、この年の会場は不明ですが、昭和4(1929)年には錦公園にあった米子公会堂で行われています。当時、米子町は松江歩兵63連隊の徴募区域ですので、松江連隊の司令官、兵事官又は市長らに混じって県からは内務部長が臨席したことがわかります(注4)

 4月29日に鳥取駅を通過した岡野(敬次郎)前文部大臣は、満州視察に赴くために前日28日に東京駅を出発。途中京都に宿泊し、この日は出雲大社に立ち寄るために山陰本線で鳥取駅を通過しました(注5)。また5月1日に県庁を訪れた湯浅(倉平)元警視総監の訪問目的は不明ですが、湯浅は明治36(1903)年6月から一年間鳥取県警部長を務めた経験がありました。岡野、湯浅、日比重雅知事いずれも内務省の出身であり、地方におけるこのような面談が日々繰り返され、内務官僚のネットワークが築かれていたことがうかがえます。

3.『昭和四年 鳥取県公報』~ルールの伝達

 「公報」は都道府県や市区町村の例規の伝達手段で、条例や規則の公布、告知、公告などのために発行する公的な機関誌です(注6)。昭和4年4月2日に創刊された「鳥取県公報」は、「県令・条例・規則・訓令・告示・公告・示達・彙報」の9項目の県例規等を登載し、毎週火・金曜日の2回発行され、官公署に無償で配布され希望者には有償で分けられました。公報発行以前の例規は、県庁で必要部数を準備して郡役所、戸長役場を通じて町村に配布され、掲示場で掲示されたり各戸に回達されました。明治31(1898)年からは、新聞読者層の増加を背景に新聞掲載による例規の公布が行われる一方、町村役場などへの頒布はつづけられました(注7)

 昭和4年の公報発行により、例規の公布間隔が一定となり、冊子化によって散逸の危険性が薄まったほか出納管理が容易となり、かつ号数が付与されるので検索の利便性が向上したと考えられます。なお、鳥取県公報の印刷所は、昭和4年の創刊から17年度までは鳥取刑務所(鳥取市古海)で行われていました。18年4月からは市内の印刷所を転々としますが、昭和20年4月から鳥取県印刷所(鳥取市東町)で自前での印刷が始まりました(注8)

 第48回県史だより「戦時下の「鳥取県公報」で述べたように、鳥取県公報の「彙報」欄は、日中戦争に始まる国民精神総動員運動の展開以後、軍需工場動員や満蒙開拓移民募集などの時局関連記事を増加させ、昭和14(1939)年4月28日発行第1024号からは別冊『事変特報』が刊行されるようになり、のちにその役割は大政翼賛会鳥取県支部発行の『翼賛因伯』に受け継がれます。県公報は「県自体に関する記事を掲載」することに特化しつつ、市町村・部落・常会・隣組などを傘下におく「大政翼賛会とが表裏一体をなして時局目的完遂に邁進すること」となり、戦争遂行のための諸情報の上意下達が一層徹底されていきました。

戦後編につづく)

(注1)「鳥取県史料6 政治 施政」明治9年6月6日条(『新鳥取県史 資料編 近代1 鳥取県史料1』722ページに収録)

(注2)例えば「内務省日誌」の場合、内務省の布達、達、各府県・警視庁等からの伺とこれに対する内務省の指令等が掲載された。(国立国会図書館サーチ「明治前期の法令の調べ方」

(注3)表題を同じくする別の簿冊によれば、日誌第一号を発行したので、各大区に6部ずつ(ただし第1大区:邑美郡と第13大区:会見郡のうち米子・境を含む地域には7部)と総代詰所に1部、計99部の配布を取りはからうよう各区総代に指示がなされている。(明治6年6月20日付鳥取県簿書掛から各区総代所あて文書)

(注4)徴兵検査の具体的な実施手順は、『新鳥取県史 資料編 近代6 軍事・兵事』の喜多村理子委員解説を参照。

(注5)「因伯時報」大正13年4月29日付(鳥取県立図書館所蔵)

(注6)地方自治法16条4項は「条例の公布に関し必要な事項は、条例でこれを定めなければならない」とし、「鳥取県公告式条例」(昭和34年鳥取県条例第43号)第2条第2項で「条例の公布は、県公報に登載して行う」と定めている。また、「鳥取県公報発行規則」(平成5年4月1日施行)で、登載事項は(1)例、(2)則及び訓令、(3)知事以外の県の執行機関及び県議会が制定する規程で(2)に準ずるもの、(4)県の執行機関及び県議会が行う告示及び公告、(5)雑報その他の5種類とされている。

(注7)県例規の変遷と保管状況については、谷口啓子「鳥取県例規の変遷」(『鳥取県立公文書館報』第12号、平成14年度)を参照。

(注8)平成12年10月17日発行の第7223号からは、政策法務課のホームページでも閲覧が可能となり、さらに平成18年10月発行分からはとりネットによる掲載が中心となり紙での閲覧は県庁県民室、県内各総合事務所の地域振興局、県立図書館、県立公文書館のみとなっています。昭和4年4月2日の創刊号から平成12年10月17日まで公報は公文書館のホームページで検索と全文の閲覧が可能です。

(西村芳将)

活動日誌:平成30年12月

3日
民俗部会(西部総合事務所第19会議室)。
4日
資料調査(松江市、樫村)。
古墳測量にかかる地元区長挨拶(鳥取市、東方)。
6日
古墳測量にかかる地元区長挨拶(琴浦町・倉吉市、東方)。
7日
デジタルアーカイブにかかる協議(鳥取県立図書館、岡村)。
8日
占領期の鳥取を学ぶ会(鳥取市歴史博物館、西村)。
9日
古墳測量にかかる地元区長挨拶(鳥取市・琴浦町、東方)。
資料調査(公文書館会議室、現代部会員・西村)。
10日
民具調査(伯耆町教育委員会、樫村)。
11日
古墳測量にかかる地元区長挨拶(米子市、東方)。
12日
地域歴史資料所在調査(大雲院、岡村)。
占領期の鳥取を学ぶ会(鳥取市歴史博物館、西村)。
17日
資料写真撮影(湯梨浜町泊歴史民俗資料館、樫村)。
19日
資料返却(倉吉博物館、東方)。
地域歴史資料所在調査(大雲院、岡村)。
20日
松江市文書館検討委員会、資料調査(松江市役所、西村)。
26日
新鳥取県史編さん委員会(公文書館会議室)。
27日
民具整理に関する協議(北栄町役場大栄庁舎、樫村)。

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編集後記

 『新鳥取県史 資料編』の刊行は、今月(平成31年3月)末に「近世6 因府歴年大雑集」「現代1 政治行政編」「民俗2 民具編」が刊行され、近世部会と民俗部会の刊行は一区切りつくことになります。そして平成31年度に「考古2 古墳時代」「現代2 経済・社会・文化」の刊行で本事業の『資料編』刊行は完結します。いよいよ大詰めです。

 さて今回の記事は、当館所蔵の資料を紹介し、その資料が持つ意味について述べたものになります。図書館で多く収蔵される規格化された大量印刷の図書とは違い、公文書館の資料はその一点一点に異なる意味があります。よってその内容や意味がわかる目録やデータベースを作成することも、また目的の資料を検索することも容易ではありません。今回の記事のように、重要な資料に関してはその内容・意味を解説することが継続的に行われ、積み重ねられることが重要でしょう。

(樫村)

  

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