防災・危機管理情報

調査・研究(因幡の中世城館)

狗尸那(くしな)城の準備作業

 狗尸那(くしな)城の発掘調査を始めるにあたって、まず、下草刈や雑木・倒木撤去をしました。

下の写真のとおり作業前でも堀や切岸が分かる状況で、十分すごい山城であることは分かっていました。

 

下草刈や雑木・倒木撤去をする前の様子

ところが、作業を終えた後を見てみると、

 

上の写真と同じ場所の下草刈や雑木・倒木撤去をした後の様子

 横堀、竪堀の深さがよりはっきりとし、難攻不落を思わせる城の姿が見えてきました。作業前でも抜群の遺構の残りで当時の緻密な城造りを今に伝えていた狗尸那城、しかし、作業後には我々の想像を超えた戦うための実戦的な県内有数の山城であることがはっきりとしました。

 下草刈り後の切岸は4mの落差がはっきりとし、下から見上げると城攻めの兵たちの士気を下げる迫力、倒木撤去したことで兵達の動きが目に浮かぶほどで、また、攻城軍の動線にそって随所につぶて石を集石していることが分かりました。

落差4mの切岸

 発掘(試掘)調査は、まず、主郭から行います。環境整備をしただけで、石列が一部露出してきました。石列に規則性があるのか、ないのか。調査に期待が膨らみます。

 発掘調査情報は随時ホームページ等でお知らせさせていただきますので、ご期待ください。

 なお、発掘調査は、所有者の方に特別な許可を得て実施しておりますので、円滑な調査と現場保全、立入者の安全を確保するため、当面関係者以外の方の立ち入りはご遠慮ください。

[令和2年5月掲載]


狗尸那(くしな)城の発掘調査始めました!

 鳥取県埋蔵文化財センターでは令和元年度から中世城館の再調査事業を行っています。これまで西因幡地域を中心とした山城の踏査や文献調査を行い、昨年度末に事業概要をとりまとめた『戦国の因幡武田と鹿野城』を一般向けにも発刊したところです。
この再調査を実施した山城の一つ、鳥取市鹿野町の「狗尸那城」は、立地、構造から重要視すべき城ですが、文献では『因幡誌』などに記載があるものの、その来歴は明らかになっていませんでした。そこでこの城の由来を明らかにし、価値付けをするため、令和2年度はこの「狗尸那城」において発掘調査(試掘)を行います。
 また、県内では開発事業に伴い城跡の調査が行われることはありましたが、今回のような学術的な観点からの調査はあまり例がありません。
 今回、この狗尸那城の発掘調査には大川文化財主事ほか、写真のメンバー5人が発掘調査に挑みます。

発掘調査隊

謎解きに燃える発掘調査メンバー

 

 なお、発掘調査は、所有者の方に特別な許可を得て実施しておりますので、円滑な調査と現場保全、立入者の安全を確保するため、当面関係者以外の方の立ち入りはご遠慮ください。
 発掘調査の成果や発見された出土品は、当埋蔵文化財センターの発掘速報展コーナーに展示するほか、ホームページ等でもお知らせします。

【調査期間】
 令和2年5月11日(月)~6月初旬(当面の予定)
【目 的】
 城の機能した時期、残された遺構(横堀・竪堀)の特徴を明らかにする。
【鹿野の狗尸那城】
 狗尸那城のある鹿野周辺は天正8・9年(1580・1581)に行われた織田方、羽柴秀吉による因幡攻めを始め、戦略上重要な場所であり、多くの中世山城が残されています。中でも狗尸那城は小規模ながらも、周辺の山城には見られない横堀や竪堀といった防御施設を備えた技巧的な城です。

[令和2年5月掲載]


狗尸那(くしな)城の見事な横堀を再現できるか?

 山城の調査範囲で新たな工夫をしました。

今年の調査から断面図を描くようにしたことは、前回鳥取城西坂の例でご紹介しましたが、それでも分かりにくいという指摘があり、見せ所について縮尺を大きくしたものを加えることにしました。

鳥取市鹿野町にある狗尸那城は、周囲に見事な横堀をめぐらせ、城を守る工夫に富んだ山城です。先日14日に現地案内をさせていただきました。その資料に横堀を拡大した断面図(寸法入り)や写真を入れてみましたが、現場の迫力は伝わったでしょうか?

[令和元年10月掲載]


山城の調査ではGPS端末を使って平面図と断面図を作っています。

 今年度に入ってから中世城館の現地踏査を11城、併せて文献調査を行ってきました。引き続き調査は継続していきますが、これまでに行った調査成果について10月からの現地ウォークや12月のまいぶん講座、2月の成果報告会に向けて整理をしていきながら、途中経過についてもレポートしていきたいと思います。
 中世城館の現地踏査では簡易測量としてGPS(グローバル・ポジショニング・システム、全地球測位システム)端末を使って、土塁や堀切の位置や高さを記録しています。
 写真は現地の計測データを平面図に記載して鳥取城西坂の断面図を作っている様子です。断面図があると、平面図だけではわかりづらい斜面の様子がイメージしやすくなります。急な斜面は人工的に削り込んだ「切岸(きりぎし)」と呼ばれる防御施設で、城を守るための工夫が見られます。緩やかな斜面は自然のままで、大きな加工が加えられていないことが分かります。簡単な断面図ですが、当時の人々がどのように城を守ろうとしたのかが伝わってきます。
 令和元年11月9日(土)はこの「西坂」を中心とした鳥取城関連ウォークを開催します。鳥取城「西坂」周辺は戦国時代の姿を残す場所と言われます。ぜひ訪れてみませんか。

「鳥取城関連ウォーク」チラシはこちら.pdf(2167KB)

 

[令和元年10月掲載]

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センター紹介

 久松山地域は戦国時代以降鳥取城が築かれ、鳥取藩32万石の中心地でした。現在でもこの地域は県庁があり、行政の中心地となっています。

 しかし、戦国時代から遡ること約800年前の奈良時代、県庁から4キロほど離れたこの国府町に国史跡因幡国庁(現在の県庁にあたるもの)がありました。今ではひっそりとした田園地帯ですが、因幡三山(甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま))に囲まれ、当時の面影を残す万葉の歴史と古代の出土品にあふれた万葉の里となっています。
 この歴史豊かな万葉の里の一角に埋蔵文化財センターはあります。


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