展示・イベント等

「里仁古墳群ウオーク」を開催しました!

 令和5年3月21日(火・祝)に、「里仁(さとに)古墳群ウオーク」を開催しました!

 今回は、ヤマタスポーツパーク(鳥取市布勢・里仁)周辺にある「里仁古墳群」を対象に、鳥取平野で第3位の規模の前方後円墳里仁29号墳をはじめ、里仁23号墳、里仁3235号墳(消滅)などの古墳に加え、弥生時代後期の里仁1号墓(消滅)や古墳時代終末期の里仁第3横穴群等などについて、当センター職員が説明しながら園内の遊歩道を歩きました。

 あいにく小雨がパラつく天候だったこともあり、予定より少し早くウオークを終了しました。それでも、参加された方々からは、「運動公園は利用しているが古墳については知らなかったので興味深かった」「古墳からの眺めがよかった」「距離がちょうどよかった」などの感想をいただきました。整備された遊歩道を歩くコースだったので、比較的歩きやすいウオークだったと思います。

 来年度もこうした古墳ウオークを開催する予定ですので、どうぞお楽しみに。 

kohunulokuウォークの様子


埋蔵文化財センター所長おすすめのお宝(3)

 所長おすすめのお宝第三弾、またまた、あまり注目されていない資料について紹介します。

 写真1は、笠見第3遺跡(かさみだいさんいせき:琴浦町)D区の竪穴建物等(SI10・11・14など)で出土した赤色顔料素材です。

 笠見第3遺跡は、国道9号(東伯中山道路)改築工事に伴い2002・2003・2006年に約30,000平方メートルが調査された、縄文時代から中世にかけての大規模な複合遺跡です。特に弥生時代中期後葉から古墳時代後期中葉にかけては、総数200棟以上の竪穴建物跡が見つかり、県内では妻木晩田遺跡(むきばんだいせき:米子市・大山町)、長瀬高浜遺跡(ながせたかはまいせき:湯梨浜町)、青木遺跡(あおきいせき:米子市)に次ぐ規模の大集落遺跡であることが分かりました。

 原始古代に使われた赤色顔料には、主に(1)水銀朱(すいぎんしゅ、硫化水銀:HgS)、(2)ベンガラ(酸化第二鉄:FeO)、(3)鉛丹(えんたん、酸化鉛:PbO)があります。20022003年の調査で、赤色顔料が付着した安山岩円礫が数多く出土しており(写真2)、遺跡内でベンガラと思われる赤色顔料の生産が行われた可能性が指摘されていました。

 2006年の調査で、弥生時代中期後葉から古墳時代中期後葉にかけての竪穴建物跡などで、赤色顔料が付着した石杵(いしぎね)や台石などと共に、研磨痕や割った痕のある赤色顔料素材と考えられる褐鉄鉱(かってっこう)の一種が出土し、遺跡内出土の赤色顔料付着遺物と赤色顔料素材の蛍光X線(けいこうえっくすせん)分析による成分分析を行いました。その結果、付着した赤色顔料も素材もベンガラ特有の成分構成である可能性が指摘され、この遺跡で赤色顔料が生産されていた可能性がますます高まりました。今後は、X線回折(えっくすせんかいせつ)分析によって顔料の結晶構造の解析を行い、より確実性を高める必要があるでしょう。 

 これら赤色顔料素材が、どこで産出したものかは現段階では明らかとなっていませんが、遺跡の近隣で産出する鉱物を磨り潰したりして、集落内で赤色顔料(ベンガラか)を精製し、土器などに塗彩していた可能性が考えられます。

 また、この遺跡内では、弥生時代後期に花仙山(かせんざん:松江市)産の碧玉(へきぎょく)を用いて管玉生産が行われていたことや、古墳時代前期から中期に鉄器の生産が行われていた可能性があることがわかっています。加えて、弥生時代中期から古墳時代中期にかけて、赤色顔料の生産も行われていたとなると、当時の集落内での物資生産の様相、集落の性格を考えるうえでも重要な出土品として注目されます。

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写真1 赤色顔料素材(矢印は研磨の痕)

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写真2 赤色顔料が付着した礫

[令和5年3月21日掲載]


考古学フォーラム2022「須恵器からみた古代因幡の流通と交通」の聞きどころ、見どころ

●聞きどころ1

須恵器の形態と製作技法から生産、流通、消費について考える!>
 須恵器の形態や製作技法は、たとえば坏・皿といった同じ種類の器であっても、つくられる地域や時代によって違いがあります。この違いを子細に検討することで、いつ、どこの地域で作られ、消費されたか推定することができます。八峠興氏には、この視点からご講演いただきます。

●聞きどころ2 
須恵器の材料(粘土)から生産、流通、消費について考える!>
 土器を形づくる粘土や含まれる鉱物は、つくられる地域によって異なるため、その種類や元素の違いを分析(胎土分析といいます)することによって土器の産地を推定することができます。蛍光X線分析法による胎土分析の視点から、白石純氏にはご講演いただきます。

 須恵器の形態や製作技法と、胎土分析の結果とを合わせて検討することで、どこで作られ、どこから、どうやって運ばれたのか、生産地や流通についてより明らかにすることができます。詳しくは講演を楽しみにしていてください。

 試料採取の様子

講師の白石氏による胎土分析の試料採取の様子

 

●見どころ!
 会場では、八頭町内の窯跡から出土した須恵器を展示します。合わせて、今回のテーマとなる研究成果の報告書も販売しますので、ぜひご覧ください!

須恵器

会場で展示する須恵器(一部)

報告書

報告書

[令和5年3月17日掲載]


「所長おすすめのお宝」展示2 石製合子

 「埋蔵文化財センター所長おすすめのお宝」第2弾「桂見(かつらみ)遺跡の石製合子(せきせいごうす)」の展示を開始しました。

 この石製合子は破損しているうえ、2片に分かれているため全形を想像しにくいのですが、3Dプリンタを使って復元し、さらに見つかっていない蓋も推定復元してみました。

 山陰唯一の石製合子、ぜひ御覧ください!

 なお、中止していた第1・第3土曜日午後の特別開館は、新型コロナウイルス感染症の感染状況が落ち着いてきたこともあり、3月から再開します。

 平日は来館できないため残念に思われていた方もあったことと思いますが、この機会にどうぞ御来館ください。

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所長おすすめのお宝 -第2弾-

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(左)石製合子復元品      (右)桂見遺跡出土石製合子

「埋蔵文化財センター所長おすすめのお宝」第1弾はこちらをクリックしてください。

[令和5年3月2日掲載]


とっとり考古学フォーラム2021「古代の女性史」講演・討議記録集を刊行しました!

 当センターが令和3年7月10日に開催した「とっとり考古学フォーラム2021 古代の女性史―卑弥呼(ひみこ)から伊福吉部徳足比売臣(いおきべのとこたりひめ)まで―」の講演・討議記録集が完成しました。本フォーラムでは、講師に古代女性史研究の第一人者である、帝京大学名誉教授の義江明子先生をはじめ、岡山大学大学院教授の清家章先生、専修大学非常勤講師の伊集院葉子先生をお招きし、古代の女性首長や女官の実像に迫りました。

 鳥取県は古代の女性が活躍していたことを示す貴重な資料が数多く残っている土地柄です。フォーラムのサブタイトルにある伊福吉部徳足比売臣は、古代の因幡(いなば)国出身の女官で、古代の女性が活躍していたことを語る上では欠かすことができない人物です。また、平成28年に青谷横木(あおやよこぎ)遺跡で発見された女子群像(じょしぐんぞう)の板絵は、古代の女子群像として高松塚(たかまつづか)古墳の壁画に次ぐ、国内2例目の出土例で全国的に注目を浴びました。

 本記録集には、3先生の講演と討議の記録、古代の女性の活躍を伝える鳥取県出土資料等をまとめています。準備が整い次第、鳥取県内の図書館等へ発送するとともに、当センターで販売しますので、ぜひご一読ください。

 1部1,000円(税込み)で販売しています。御購入方法はリンク先を御覧ください。⇒御購入方法

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[令和5年2月21日掲載]


企画展示『鳥取県の中世城館を探る』開催中!

 令和5年2月17日(金)から企画展示「鳥取県の中世城館を探る -因幡を中心に-」を開催しています。

 今回の展示は、最新の地形データによる微細地形図を使い、因幡の在地領主層が築いた城跡を紹介しています。展示している城跡は、守護山名氏に縁のある二上山城(ふたがみやまじょう:岩美町)、山名氏の被官である武田氏が本拠とした鵯尾城(ひよどりおじょう:鳥取市)、奉公衆の私都毛利氏が拠点とした私部城(きさいちじょう:八頭町)や大江谷を押さえた国人伊田氏が築城した半柵城(はんざこじょう:八頭町)などです。

 今回展示した微細地形図では、平坦な土地は白色、相対的に出っ張った地形は赤色、相対的にくぼんだ地形は青色で表されるため、城跡に遺されている曲輪(くるわ:平坦地)や、切岸(切岸:人工的に削った急斜面)はそれぞれ白色、赤色で濃い色合いとなって表現されているのが特徴です。図面を見ると、どこに曲輪があって、どのくらいの範囲が城として整備されているのかがよくわかります。

 また、城跡の周囲をよくみると、これまでの踏査ではわからなかった曲輪状の地形などが、新たに見えてきました。今後、現地を確認して遺構を調査する必要があります。

地形図のほかにも、少量ですが現地踏査中に採集した染付や、備前焼などの遺物も展示しています。ぜひ、今回の展示を通して、地形図から新たに判明した中世城館の姿を御覧ください。

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展示室入口

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企画展示風景


埋蔵文化財センター所長おすすめのお宝(2)

 所長おすすめのお宝第二弾です。今回は、これまでほとんど目にされたことがなかったものをご紹介します。

 写真1は、鳥取市桂見(かつらみ)遺跡から出土した、石製合子(せきせいごうす)の一部S23です。 「石製合子」は、主に古墳時代前期から中期にかけての古墳に副葬されることが多い蓋付きの容器で、全国で60点ほどしか確認されていません。出土の分布は、近畿地方を中心に東は北陸・東海地方、西は山陽地方にかけて出土しています。緑色の碧玉(へきぎょく)や緑色凝灰岩(りょくしょくぎょうかいがん)製で手の込んだ装飾が施されるものが多く、ヤマト政権からの賜(かし※品の一つではないかと考えられるものです。

 この石製合子は1995年県道改良工事に伴う桂見遺跡の発掘調査とそれに先立つ試掘調査で出土したもので、2つに割れており接合はしませんが同一個体と考えられます。鳥取県内では、土製の合子が普段寺(ふだんじ)1号墳(南部町)で出土しているものが知られていますが、石製合子は、現在県内ではこの一例のみしか知られていません。行葉理(へいこうようり※が発達し縞模様が目立つ緑色凝灰岩製で、蓋はなく身の部分のみで大きく破損しています。復元される形状は、図1のように底には脚がなく平らで平面がやや角張った楕円形となり、蓋受け部分に突帯、裾部に段をもつものと考えられます。形態的には、古墳時代前期終わりごろのものに類似しています。

 この合子は、古墳からではなく奈良時代の造成盛土に伴う石列の中から出土しました。調査時は古墳が壊されて造成されたと考えていましたが、桂見遺跡の調査地周辺にはそれらしい古墳の痕跡がないことや、滋賀県栗東市・辻(つじ)遺跡や石川県小松市・一針(ひとつはり)C遺跡など、集落遺跡からの出土例もあることから、桂見遺跡の石製合子も元々出土地の西側で検出された古墳時代前期の集落域にあり、奈良時代に付近が削られ造成した際にたまたま紛れ込んだ可能性があります。

 桂見遺跡の古墳時代集落にいた人物は、ヤマト政権と深い関係があった可能性が考えられます。

※下賜:身分の高い者から低い者へモノを与えること

※平行葉理:堆積層に見られ、砂粒や火山灰などの粒子の単位が薄く水平に堆積している様

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写真1 桂見遺跡出土石製合子S23

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図1 愛知県春日井市篠木町出土品

(西谷真治1970「古墳時代の盒」『考古学雑誌』第554号から転載)

[令和5年2月掲載]


「所長おすすめのお宝」展示始めました!

 先日掲載した「埋蔵文化財センター所長おすすめのお宝」の記事を読まれた方から、「せっかくのお宝なので、所長室ではなくみんなが見られる所に展示しては?」との御提案があり、「それでは!!」ということで、玄関ロビーに展示コーナーを開設することにしました。 

 今後、ホームページで紹介した「所長おすすめのお宝」をこちらに展示していきますので、どうぞお楽しみに。

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所長おすすめのお宝

[令和5年2月3日掲載]


埋蔵文化財センター所長おすすめのお宝

 所長室には、センター収蔵遺物の中でも、所長おすすめの出土遺物を展示しています。

 (写真1)は、笠見(かさみ)第3遺跡の貯蔵穴と考えられる長方形の土坑(どこう)SK65で出土した脚付装飾壺Po854です。この土器は、弥生時代中期後葉(約2000~2100年前)ごろのもので、出土時は横倒しでばらばらの状態でしたが(写真2)、接合すると一部欠損はあるものの、ほぼ完形に復元することができました。

 この土器の特徴は、外面全体が赤く塗られていることです。この遺跡では、この場所で産出する酸化鉄を多く含む石を磨り潰して赤色の顔料(ベンガラの可能性)を作っていたことが知られています。この土器の赤色顔料は、この遺跡で精製され、塗布された可能性があります。

 また、この土器の外面にはススが付着しています。通常この形の土器は熱を受けるものではないのですが、この土坑から出土したその他の土器も、ススが付着したり熱を受けたりしていますので、どこか別の火災に遭った住居などで使われた土器が、この土坑に捨てられたと考えられます。

 (写真3)は、箆津乳母ヶ谷(のつうばがたに)第2遺跡の斜面部に作られた段状遺構SS6で出土した石製玉類です。出土したのは29点で、メノウ製勾玉(まがたま)4、碧玉(へきぎょく)製勾玉1、碧玉製管玉4、緑色凝灰岩製管玉1、碧玉製丸玉4、水晶製丸玉4、ガラス小玉9からなり、このうち、ガラス小玉3点は土壌のフルイ掛けで出土しているため、この展示には加えてはいませんが、出土状況からつながった状態で廃棄された可能性が指摘されており(写真4)、並び方を復元した状態で展示しています。

 玉類の大半はほぼ完全な形をとどめているのですが、メノウ製勾玉の1つ(J2)は半分以上折損し、碧玉製管玉(J7)の一部も欠損しています。J7の欠損は玉制作時のものと考えられていますが、J2の破面は、擦り減っていないようなので、折損してから廃棄されるまでそんなに時間はたっていないものと考えられます。

 段状遺構SS6は、出土した須恵器類から、飛鳥時代から奈良時代ごろのものと考えられており、これら玉類も同様の時期と考えられます。

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(写真1)笠見第3遺跡出土脚付壺Po854

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(写真2)笠見第3遺跡SK65遺物出土状況

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(写真3)箆津乳母ヶ谷第2遺跡出土石製玉類

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(写真4)箆津乳母ヶ谷第2遺跡SS6石製玉類出土状況

[令和5年1月掲載]


企画展示 「鳥取平野の前方後円墳」始まりました!

 令和4年12月23日(金)から、企画展示「鳥取平野の前方後円墳」が始まりました!
 当センターもその一角にある鳥取平野には、周辺の丘陵上に50基を超える前方後円墳が築かれていることが知られています。しかし、それらは前方後円墳であることやおおよその規模、まれに採集資料が知られるのみで、墳丘測量図などの詳細情報もないものがほとんどでした。
 近年「新鳥取県史編さん事業」に伴い、鳥取平野の大型前方後円墳の航空レーザ測量が行われ、これまでベールに包まれていた前方後円墳の姿が明らかになってきました。さらに、鳥取県農林水産部林政企画課が実施している全県にわたる航空レーザ測量の成果からは、草木に覆われている古墳の姿が明らかになるとともに、新たに前方後円墳と推定される古墳も確認できています。こうした測量成果を検討することで、鳥取平野の古墳研究の進展が期待されます。
 今回の企画展示では、古墳の形や規模、推定される時期など、最新の測量成果によって見えてきた鳥取平野の前方後円墳を紹介します。
 展示期間は、令和5年2月10日(金)まで、開館は平日9時から17時までです。なお、1,2月の間、恒例の第1、第3土曜日午後の特別開館は中止させていただきますので、あしからず御了解ください。 

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企画展示入口

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展示風景

刊行物の御購入


センター紹介

 久松山地域は戦国時代以降鳥取城が築かれ、鳥取藩32万石の中心地でした。現在でもこの地域は県庁があり、行政の中心地となっています。

 しかし、戦国時代から遡ること約800年前の奈良時代、県庁から4キロほど離れたこの国府町に国史跡因幡国庁(現在の県庁にあたるもの)がありました。今ではひっそりとした田園地帯ですが、因幡三山(甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま))に囲まれ、当時の面影を残す万葉の歴史と古代の出土品にあふれた万葉の里となっています。
 この歴史豊かな万葉の里の一角に埋蔵文化財センターはあります。


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