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土器が動く、人が動く

 遺跡を発掘すると、必ずといっていいほど土器が出土します。土器は時代によって形や装飾の仕方が異なるため、出土した土器を調べることにより、出土した遺跡がいつの時代であるか決めることができます。また土器は、同じ時代のものであっても、作られた地域によって形などが異なることもあります。

 こうした土器の地域性が明確に見られるのが弥生時代です。この時代には各地域の土器が広範囲に動いている状況が確認されています。ここでは弥生時代の土器の動きが何を物語るのか、少し考えてみたいと思います。

 たとえばAという地域の特徴を持つ土器が、Bという地域に存在するということは、どのような理由が考えられるでしょうか。思いつくままに挙げてみると、(1)A地域で作った土器を携えてB地域へ人が移動した、(2)A地域の人がB地域に移動して土器を作った、(3)B地域の人がA地域の土器を見て、同じものをB地域で作った、などが考えられます。いずれにしても土器が動くということは、人が動くということなのです。

 弥生時代の土器の動きについては、次に訪れる古墳時代直前の、弥生時代終末に特に顕著であることが知られています。この弥生時代終末は、『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に記された邪馬台国(やまたいこく)の卑弥呼(ひみこ)の時代で、各地域間の勢力争いや再編が起こったと考えられており、そうした社会情勢を背景に人の移住や移動が活発に行われたと思われます。土器の動きは単なるモノの移動ではなく、社会の変化を反映したものといえそうです。

 鳥取県における弥生時代の土器の動きを、その状況が比較的判明している弥生時代後期(紀元1世紀から2世紀)から終末(紀元3世紀)について見てみましょう。

 まず県内で出土した他地域の土器の状況ですが、図にまとめてみると興味深い事実が見えてきます(図1)。

 

鳥取県における他地域の土器の分布状況の図
図1 鳥取県における他地域の土器の分布状況

 弥生時代後期には全県的に吉備(現在の岡山県が中心)の土器が見られます。土器は食物を煮炊きする甕(かめ)のほか、貯蔵用の壺も多く(図2の1)、壺は墓に供えられた例もいくつかあります。また、この時期の特徴として東部の鳥取平野に近畿北部(現在の兵庫県から京都府の日本海側。北陸を含む可能性あり)の土器がたくさん出土することが挙げられます(図2の2)。この近畿北部の土器は住居跡からまとまって出土する場合もあり、人が移住した可能性も考えられます。

鳥取県出土の他地域の土器の写真
図2 鳥取県出土の他地域の土器
1米子市青木遺跡(吉備)、2鳥取市西大路土居遺跡(近畿北部)、 3鳥取市岩吉遺跡(吉備)、4米子市上福万妻神遺跡(畿内)

 弥生時代終末になると畿内(現在の兵庫県南部から大阪府、奈良県)の土器が目立ってきます。弥生時代後期の伝統を残した甕が米子市から南部町にかけて、ひとつの遺跡から大量に出土する例が見られます(図2の4)。このあたりが畿内との交流拠点であった可能性があります。近畿北部の土器は激減しますが、倉吉市で見つかった例は住居跡からややまとまって出土しており注目されます。吉備の土器はほとんどが煮炊き用の甕です(図2の3)。

 このように県内で出土した弥生時代後期から終末にかけての他地域の土器は、系統や器の種類の違いが見られます。

 次に他地域へもたらされた土器についてですが、弥生時代、とくに弥生時代後期から終末は、全国的に見ても土器の地域性が明確となる時期ですが、なぜか山陰地方は鳥取県から島根県までの広い範囲であるにもかかわらず、土器の形などにほとんど違いがありません。したがって鳥取県で作られた土器がどこへ運ばれたかということまでは残念ながらわかりません。しかし山陰の土器は西日本各地にある多くの弥生時代終末の遺跡から出土することから、山陰と他地域の活発な交流関係があったことがわかります。山陰の土器は壺や甕の口の部分が二重口縁(にじゅうこうえん)と呼ばれる独特の作りをしていますし、弥生時代終末になると厚さが非常に薄くなるので見分けやすいのです(図3)。

 先にも述べたように、この時代は社会が大きく変わる時期でした。山陰の土器が各地で出土し、また他地域の土器を受け入れていることは、山陰の人たちが激動の時代を精力的に生き抜いた証だと思われます。

山陰地方の弥生時代終末の土器の図
図3 山陰地方の弥生時代終末の土器(鳥取市岩吉遺跡)

図の出典

図2 青木遺跡発掘調査団『青木遺跡発掘調査報告書3』(鳥取県教育委員会、1978)、谷口恭子・藤本隆志『西大路土居遺跡』(財団法人鳥取市教育福祉振興会、1993)、谷口恭子・前田均『岩吉遺跡3』(鳥取市教育委員会・鳥取市遺跡調査団、1991)、下高瑞哉『上福万妻神遺跡』(米子市教育委員会、1991)

図3 谷口恭子・前田均『岩吉遺跡3』(鳥取市教育委員会・鳥取市遺跡調査団、1991)

(湯村功)

最近の活動から:新鳥取県史巡回講座を開催

 2010(平成22)年5月16日(日)、23日(日)に、平成22年度新鳥取県史巡回講座を米子・鳥取の県内2会場で開催し、合計142名の方にご参加いただきました。

米子会場の様子の写真(2010年5月16日撮影)
米子会場の様子(5月16日)
米子会場で解説する岡村専門員の様子の写真(2010年5月16日撮影)
米子会場で解説する岡村専門員(5月16日)
米子会場で解説する坂本室長の様子の写真(2010年5月16日撮影)
米子会場で解説する坂本室長(5月16日)
鳥取会場の様子の写真(2010年5月23日撮影)
鳥取会場の様子(5月23日)

 講座では、鳥取県史ブックレット第4巻『尼子氏と戦国時代の鳥取』、については執筆担当者である岡村専門員が、鳥取県史ブックレット第5巻『江戸時代の鳥取と朝鮮』の内容については、坂本室長がプロジェクタを使いながら解説しました。

 その後、各会場とも活発な質疑応答があり、講座が終了しました。

活動日誌:2010(平成22)年4月

3日
県史編さん協力員(古文書解読)東部地区月例会(県立博物館、坂本)。
4日
県史編さん協力員(古文書解読)中・西部地区月例会(倉吉市・米子市、坂本)。
10日
民俗調査(~12日、鳥取市内・倉吉市、樫村)。
16日
民俗調査協議及び民具調査(湯梨浜町教育委員会・鳥取県立二十世紀梨記念館、樫村)。
19日
民俗(初亥の子行事)調査(三朝町坂本、樫村)。
21日
空山古墳測量調査協議及び現地確認(鳥取市久末、湯村)。
22日
民俗調査協議及び民具調査(北栄町教育委員会・湯梨浜町泊歴史民俗資料館、樫村)。
23日
第1回新鳥取県史編さん委員会(公文書館会議室)。

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編集後記

 新鳥取県史巡回講座は、多数の方に御来場いただきありがとうございました。積極的な意見や質問があり、県民の歴史に対する関心を高さを改めて感じました。今年度は、11月27日(土)に米子市文化ホールにて、「因幡・伯耆の戦国社会~『境目』地域を生きた人々~(仮)」という鳥取の中世に関するシンポジウムも予定しております。ぜひ御参加ください。

(樫村)

  

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