第124回県史だより

目次

近代鳥取の境界をめぐる事件あれこれ

はじめに

 近代部会では、今春刊行した「資料編 近代4 行政1」に続き、「資料編 近代5 行政2」をまとめるべく、調査を鋭意すすめています。どうぞご期待下さい。さて、今回は、その調査成果の中から、「境界」に関連する出来事に注目をして2、3の事例について資料を紹介しながら、とり上げてみたいと思います。

事例1 鳥取・兵庫県境漁業区域問題

 当館所蔵の資料に「岩美郡田後村漁業組合関係文書」があります。これは、岩美郡の田後(たじり)漁協が所蔵していたと思われる資料の一部を、当館が収集したものです。この資料の中に『明治廿八年四月廿三日 契約書』という簿冊があり、明治28年(1895)頃に起こった境界紛争の様子を探ることが出来ます。以下、この資料から一部を引用します。

「兵庫県二方郡西浜村ノ内居組村・同村ノ内諸寄村漁場ト鳥取県岩井郡田後村漁場トノ区域ニ付テハ、数年来紛議ヲ生シ種々交渉ノ末ヘ、遂ニ明治廿八年四月両県書記官及ヒ所轄郡長并ニ関係村長立会双方当業者会同協議セシモ、好結果ヲ得ズ、一旦談判破裂ニ帰シタリ。然レトモ、到底此侭放棄スルハ双方ノ不利益不少ヲ以テ、鳥取県岩井郡岩井村長山名澄道ノ取扱ニ依リ、兵庫県二方郡西浜村書記前田純正・同郡浜坂町高垣治三郞・同郡西浜村田中林兵衞・鳥取県岩井郡網代村長生越相藏・同郡東村大字大羽尾村山口儀八郞合意仲裁人トナリ双方関係者ニ交渉シ、漸ク明治廿八年四月廿三日鳥取県岩井郡岩井宿ニ於テ協議決定シ、文化三年小羽尾村仁助ナルモノヽ仲裁書ニ基キ関係者ノ合意ヲ以テ左記条項之通リ契約ヲ締結ス」

 内容を簡単にまとめると、「兵庫県と鳥取県の漁場の境をめぐり紛議が生じていたので、両県担当者が話し合った(注1)が、まとまらなかった。しかし、これでは双方の不利益が多いので再度協議することとし、文化三(1806)年の小羽尾(こばねお)村(現岩美町内)の仁助による仲裁書に立ち返り、これに基づくことで合意した」ということになります。資料では、このあと具体的な漁場区域の境界を示した4ヶ条の取り決めが合意内容としてあげられています。

 しかし合意をみたはずのこの紛争は、この後も再燃し続けることとなりました。例えば明治42年(1909)には兵庫県側の浜坂漁業組合員が田後漁業組合の専用漁場に侵入したとして、法廷による争いが起こる動きがおこり(注2)、また大正に入ると発動機船が普及して鳥取県沖合は両県の漁業者が「何等統制なく」操業する状態になっていました(注3)。立ち止まってよく考えると、文化三年に一度取り決めたことが明治以降機能していない状態になり紛争が起きているわけですから、再びこれを辿るだけの作業で根本的な解決をはかるのは至難のわざであろうことは想像に難くありません。この明治28年の合意においては、いわゆる「山当て」(注4)などを用いて漁業区域の境界についてあらためて確認をとってはいるものの、実際に測量をすすめ、現地回復力のある固定線を引くことができたわけでもなく、さらに潮流により操業中に船(あるいは境界目標)の位置が大きく変わってしまったりすることがあるのは陸地とは大きく違う部分であり、むしろ、再問題化は必然だったとさえ思われます。

 この事例1では、「(1)外海上でもあり、なかなか境界がはっきりしていなかった(そもそも明確なラインが引きにくかった)、(2)そのため双方漁業者とも確たる境界を共通認識できていなかった」ために、たびたび生じていた問題であった、ということがいえそうです。もし明確な境界を設けることが可能であったならば、解決に近くなっていたかもしれません。

事例2 鳥取・島根海面利用問題

 江戸期の中海は、山野河海(さんやかかい)入会の原則のもと、どこの漁民でも自由に漁ができる「入会の海」でした(注5)。しかし、明治13年(1880)11月に至り、会見(あいみ)郡渡(わたり)村(現境港市内)より島根県へ以下のような嘆願書が提出されました(注6)。因みに、島根県と鳥取県が分置されるのは、この翌年のことです。

「海面借区之儀ニ付歎願
(中略)半戸数者出雲国意宇郡江島村及入江村ニ至、亦同国島根郡新庄村・本庄村ニ至迄ノ地先ヲ其村々より共ニ入会稼続候ニ付テハ、本件差支無様営業罷在候処、今般出雲国意宇島根両郡ノ右村々人民自村地先海面借区出願致居候趣ニテ各水中ニ標杭ヲ相設居候ニ付テハ、何業ヲ不問差閊不尠一同困却罷在候間、何卒従来之通無差支入会稼相成候様御詮議被成下度、此段戸長奥印ヲ以奉歎願候也
 明治十三年十一月十六日 
            伯耆国会見郡渡村漁業人総代 松本 安平㊞
                  同村 同    松本常四郎㊞
                  同村 同    門脇 重雄㊞
 島根県令境二郎殿代理 島根県少書記官星野輝賢殿」

 内容を簡単にまとめると、「村の半戸数の者が出雲国側の地先海面で入会漁業を行って生活している。しかし、現地村々が水中に杭を打っているのは困る。従来の通り差し支えなく入会漁業をさせてほしい」というものです。

 これに対し島根県当局は、「なるべく従来の慣習にしたがう」という政府方針のもと、意宇(おう)・島根両郡内の村々にこの訴えの事実についての照会をかけます。しかしこの照会に対し、両郡内の村々からの回答は、おしなべて「そのような慣習ははじめからない。なぜなら、それを証する明文が存在しないからだ。したがって、浜ノ目(弓ヶ浜地区のこと)の者が入ってくることについて了解しているわけではないので、現状を慣習として是認することはできない」といった内容のものでした(注7)。これに基づき、島根県は、「従来入会稼来ヲ追徴ス可キ証左無之上ハ、難及詮議候」という結論に至り(注8)、歎願を却下しました。この問題はこれより後、漁業問題に加え干拓の問題等も絡んでくる、鳥取・島根両県の間の長きにわたる懸案事項となっていくことになります。基本的に、旧慣を脱して境界を確定したい島根と、そうでない鳥取との間の交渉、という構図になっているようです。

 さて、この事例2においては、「(1)両者の間に行政区域としての明確な境界線が設けられていたわけではなかったが、(2)入会権は物権であり、鳥取側漁民は島根側に入り込んで漁業をしているという意識があり、かつ島根側の村も対岸の鳥取側漁民が入り込んできているという意識をもっていた」といえます。つまり、両者ともに漁業行為について「越境」意識はもっており、すなわち両者において観念的な境界線が存在していた、ということがいえそうです。そして、それを基底として、境界の明確化・固定化(公法上の権利化)を欲したものと、そうではなかったものとの係争になっていく、という構図です。そのためこのケースは、境界をはっきり定めることで即問題が解決に向かうというものではなく、むしろ権利関係の近代化をめぐる問題といえ、同じ海の境界をめぐる紛争ではありながら、1とは少し異なる方向性をもっていたケースです。

事例3 八頭郡芦津部落の部落有林売却

 さらに、もう一つ資料を紹介します。以下の資料は、智頭町誌編さん室所蔵の山形公民館180『大正七年 庶務関係綴』の中にある資料で、八頭郡役所から大内村虫井村組合長への虫井村内芦津部落有林売却の詳細計画の確認を求める照会に対し、同組合長からの回答文書です。

「十月十二日付庶第一三五六号ノ通照会、虫井村大字芦津部落有林売却代金ニテ植林経費杉苗一万六千六百八十三本ハ、十町歩ニ対シ疎植ト認ラレ候ヘ共、芦津部落有志一体ニテ寄付ノ分ヲ合セ造林シ大正七年ヨリ二ヶ年ノ継続事業ニ有之候条、此旨及回報候也」

 回答の要点は、「芦津部落有林を売却した代金で杉を植林する計画について、この本数では少なすぎるのではないかという指摘をいただいているが、さらに芦津部落の有志からの寄付をあわせて二ヶ年の継続事業としているので、このことを報告します」というものと思われます。

 この資料をめぐる背景について二点補足をします。一つは、大正8年(1919)1月に大内・虫井両村が合併をして山形村となることです。この回答が出された約二週間後に、八頭郡長より「大内村虫井村ヲ廃シ、其区域ヲ以テ新ニ山形村ヲ置キ、大内村虫井村組合財産ハ新村ニ移サントス」との諮問を受け、組合村は受諾の答申を行っています(注9)。またもう一つは、明治43年からはじまった部落有林野統一事業が行われているということです。これは、旧村(部落)がもっていた林野を新市町村に移し部落民の入会権を解消するというもので、売却はこの大きな政策の流れでの中のことでもあります。すなわち、この部落有林は財産として合併後の新しい山形村が接収することになるのですが、もともとの所有者であった芦津部落民の利益を考慮して、芦津部落の利益に適うようその売却益を芦津地区の植林に消却する、いわば財産に関する「調整」が行われていたというものです。

 さて、このケースでは、「(1)行政区域としては無くなっていた境界が、(2)住民の意識の中において保存され機能していた」というケースといえるでしょう。合併してしまえば、山林は新村域内の財産となるので、単純に新村がそれを継承すればそれでこと済むかといえば、そういうことにはならず、やはり「芦津部落」という単位の意識が実社会の中で強く残っていて、接収に対する他旧村との不公平感は大きな問題であったのです。事例2同様、入会権の処理にかかわる問題でありますが、こちらは旧慣を受け入れうまく調整をはたらかせている点において、異なるところです。

おわりに

 以上、3つの事例を通してあらためて感じたことは、至極当然なことながら「当事者が納得する結論が追求されること」の重要性です。制度として「境界」を設定し権利の範囲を決めることは、常に万能ではないものの、その有効な手段の一つとして用いられるのでしょう。事例1では当事者双方の納得のため、「境界」の明確化が必要とされていました。しかし、事例2のように制度的に境界を引くことでは短期的に解決しない問題もありました。話は少し飛躍しますが、今日の世界でも砂漠地帯の真ん中に明確な国境がない理由は、そもそも「境界」をひくことにより利益がもたらされないことがあげられます。この事例2も、境界を設定するという手段のメリットが少なかったといえるケースです。事例3の場合は、地方の行政制度としてはすでに消えていた旧村(部落)の単位の権利意識(注10)が、合併をにらむ新町村内の利害の調整にいきていた例です。いわば人々の意識の中で自律的に残されていた感覚的な「境界」が有効に作用したというものです。

 現代の社会においても、利害の反するものとの間に境界を設定あるいは明確化しようとする場合、ただやみくもに自己の利益や主張を押し通そうとしても決して争いは解決に向かわないであろうことはもちろんですが、既にルールや慣習が存在してそれに依拠しようとする場合においても、ただ無条件にそれを受け入れるのに終始することはまた、不十分でしょう。そもそも境界争論は、ある時点から複数あるいは片方の当事者が不満をもつことにより発生するからです。それを乗り越えるには、(1)その時点以前の過去の経緯を探り、(2)ルールがなぜ存在しないのか、もしくはなぜそのような既存のルールがつくられたのかを紐解き、(3)さらにそれは現在でも有用なものか検討するといった本質にせまっていくプロセスはやはり不可欠だと思います。その上に、「当事者の納得」への道が開いているのだとあらためて思いました。

(注1)当時、漁業組合規約は各組合ごとに規定が様々であり、さらに個々の規約は各県が認可して成立していた。したがって、それに起因する利害の調整は、建前上自ずと県レベルで処理、解決していくことになっていた。

(注2)「漁業区域契約書」岩美郡田後村漁業組合関係文書『明治四十三年大正元年 浜坂漁業組合員漁場侵害告訴事件関係書類絡』 鳥取県立公文書館蔵

(注3)『因伯時報』昭和7年10月14日 鳥取県立図書館蔵

(注4)海上において、沿岸部の山や島などを目印とし複数の目標を同一線上に重ねて方向をさだめたり、さらに二つ以上の線の交わりをもとめて位置を確認する方法。

(注5)『新修米子市史 第三巻 通史編 近代』

(注6)郡1-1510 『明治十四年 農商部 漁業場区(中海漁業区紛議)』 島根県公文書センター蔵

(注7)同上

(注8)同上

(注9)『智頭町誌 上巻 自然歴史』420~421頁

(注10)明治14年頃まで、地租改正にあわせた一筆ごとの地押丈量(測量)が行われていた。但し、山林原野は殆ど実測されず目測・歩測に頼っていたようで、現地復元力は弱いものであったと思われる。

(前田孝行)

活動日誌:2016(平成28)年7月

5日
資料調査(智頭町誌編さん室、前田)。
6日
資料調査(山陰歴史館、西村)。
7日
資料調査(大神山神社、前田・足田)。
因伯の絣資料調査(倉吉市、樫村)。
8日
資料調査(智頭町個人宅、岡村)。
資料調査(鳥取県看護協会、西村)。
9日
資料検討会(遠藤県政期関係、公文書館会議室、西村)。
10日
近代部会(公文書館会議室)。
11日
新鳥取県史編さん委員会(公文書館会議室)。
14日
民具調査(鳥取市福部町、樫村)。
19日
史料調査(鳥取市内、八幡)。
資料調査(~20日、順天堂大学・国会図書館、西村)。
20日
民具調査(鳥取市福部町・米子市淀江町、樫村)。
22日
資料調査(鳥取看護高等専修学校、西村)。
27日
因伯の絣資料調査(倉吉市、樫村)。
29日
史料調査(鳥取市内、八幡)。
30日
民具編目次構成検討会(県立博物館)。
31日
民具資料調査(倉吉博物館他、調査委員・樫村)。

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編集後記

 今回は近代の境界をめぐる記事です。同じ境界に関するものですが2つに分類すると、鳥取・兵庫県境漁業区域問題(事例1)は(1)漁業権の問題であり、中海の問題(事例2)と芦津の林野問題(事例3)は(2)入会権の問題とすることが出来ます。各々歴史学では重要な研究課題であり、「資料編 近代5 行政2」を基に研究が推進されることを期待します。また大きくはすべて既得権益の問題でもあり、所有と境界が比較的はっきりした農地は農地改革(1947)が行われましたが、漁場と山林は事情が複雑で大胆な改革は行われませんでした。資料から地域の歴史、暮しや考えが整理されることを希望します。

(樫村)

  

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