展示室

大きな甕2点

 アクセサリー(玉)続いて、今回は、展示室に入ってすぐ右側にある、ひときわ目立つ大型の須恵器の甕(すえきのかめ)越前焼の甕(えちぜんやきのかめ)について紹介します。

〇須恵器の甕

 一般国道9号線の改築工事(駟馳山(しちやま)バイパス建設)に伴い行われた、小畑古墳群(こばたけこふんぐん:岩美町大谷)の発掘調査で見つかったものです。小畑古墳群は駟馳山の麓にある8基で構成される古墳群で7世紀代に造られたものです。いずれも巨石を用いた横穴式石室をもつことが特徴で、5号墳の天井石の1枚は31トンの重量がありました。

 また、家形石棺(古代の森に展示中)といわれる棺が採用されていることも特徴のひとつといえます。

 写真の甕は、3号墳の横穴式石室の入口の前で破片となった状態で見つかりました。

 接合してみると、ほぼ完全な形で復元できました(写真1)。埋葬にあたって、石室の入口付近で甕を壊す、又は別の場所で壊した甕の破片を集めて石室の入口付近に置いたと考えられます。大きさは高さが102.2cm、口径が49.2cm、胴部最大径が80.6cmあります。

 観察してみると、表面にウェハースの表面のような細かな凸凹が見られます(写真2)。内面には弧状の溝が確認できます。これらは、甕を作る時に工具を使って粘土を叩き締めながら器形に丸みを持たせる作業によってついた痕です。

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(写真1)破片を接合した須恵器の甕 

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(写真2)須恵器の甕の表面

〇越前焼の甕

 一般国道9号(名和淀江道路)の改築工事に伴う発掘調査により、倉谷西中田遺跡(くらだににしなかだいせき、大山町倉谷)で見つかった井戸の中で、破片となった状態で見つかりました。破片を接合するとほぼ完全な形に復元できました。大きさは、高さが78cm、口径が63cm、底径が24cmあります。この甕は14世紀頃に福井県で作られた越前焼であることがわかりました(写真3)

 甕の内面を観察すると(写真4)、黒くすすけているところがあり、これは製品として完成した後に二次的に火を受けた痕跡と考えられます。井戸の中で一緒に出土したその他の土器や石にも同様に火を受けた痕跡があり、井戸の近くにあった建物が火災により倒壊した後に、建物で使っていたもの等とともに井戸内に投げ込まれたと考えられるそうです。

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(写真3)越前焼の甕

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(写真4)越前焼の甕の内面

 復元した甕を見ると、細かいところまでよく作られてあり、その時代に暮らした人々の技術に感心するばかりです。

 [令和5年2月6日掲載]


魅了する古代アクセサリー

 今回の常設展示の紹介は、玄関ホールにある「古代の名産品」コーナーの「玉」についてです。
 「玉」は、身を飾るアクセサリーとして使用され、その起源は旧石器時代にまで遡ります。
 展示している出土品は主に鳥取市松原田中(まつばらたなか)遺跡から出土した、弥生時代中期の管玉(くだたま)づくりの様子が分かる資料です。

 松原田中遺跡の玉の素材は、主に北陸産の碧玉(へきぎょく)を用いています。
 石材を管玉の形に近づけるために、分割加工する時に用いた「石鋸(いしのこ)」は徳島県から和歌山県で産出する「結晶片岩(けっしょうへんがん)」、管玉の孔(あな)を開けるのに用いた「石針(せきしん)」には香川県産の「サヌカイト」を使っていました。
 また、この遺跡で行われていた管玉作りには、いくつかの技法がありますが、多くのものは「大中の湖(だいなかのこ)技法」と呼ばれる方法で作られています。
 この技法は軟質の碧玉を用い、原石などを打割技法や施溝分割技法(せこうぶんかつ:素材の表面に溝筋をつけて分割する技法)によって直方体材を作出し、さらに施溝分割技法によって四角柱状材を作り出すのが特徴です(※1)。
 展示ケースには、玉の素材となる原石や製作途中のもの、管玉の孔を開ける時に石針が中で折れてしまった失敗作とそのX線CT画像、石鋸などを展示しています。
 こんな小さい管玉の孔を開けたり、管玉を仕上げるために石鋸や石針等の工具類を作る等、現代人でも真似するのが難しい職人技だと感じます。

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管玉作りの過程の様子(※1)

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原石

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石鋸(いしのこ)※工具類の中の1つ

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管玉未製品のX線CT画像

[令和4年12月掲載]


のぞいてみた井戸の世界

 今回のテーマは、弥生時代の井戸枠です。
 鳥取県立中央病院(鳥取市秋里)の改築に伴い、秋里遺跡(松下地区)で見つかった弥生時代後期(約1,800年前)の井戸に使われていた県内最古の井戸枠です。
 この井戸枠は、タブノキの丸太を刳(く)り抜いたもので、上下二段にはめこまれています。上部は失われていますが、全体の高さは1.15mまで残っています。直径は一番太い部分で0.6m、厚さは5cmから8cmあります。
井戸枠下端には取水口が2箇所くり込まれています。

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(左)展示室での井戸枠(右)実際の井戸枠

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井戸枠の底

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→井戸堀の過程

 

井戸枠が出土した様子は、以下の通りです。
・直径2.2m、深さ1.8mの井戸穴の底に粘土を貼った上に、石を敷き並べ、その上に井戸枠が置いてありました。
・井戸枠底の外側には砂や石が詰め込まれ、内側にも砂や土器の破片・小さな石が詰め込んでありました。
 これらの構造により、地下水は、井戸枠外側の砂や石を通って、下端の取水口から内側に流れ込み、さらに砂などで、浄化されて湧き出していたと考えられます。
 日常の飲料水を入手する目的とするにしては、かなり手の込んだ浄水装置を備えていたと言えます。
 ところで、ふと次の2点について疑問に思い、当センター木製品研究担当の専門職員に尋ねてみました。

(1)丸太をどうやって刳(く)り抜いたのか?

 おそらく鉄製の斧(おの)や鑿(のみ)等の工具を使って中心から地道にくりぬいたのではないか、とのことでした。井戸枠の内側には、幅5cm内外の工具の跡が残っています。その技術は現在まで、太鼓の胴や木の臼等を作る技術に継承されています。

(2)約1,800年前のものなのに、どうしてこのような形で残ったのか?

 地下に埋まっていても、空気が通ってしまうとバクテリア等の餌となり、ボロボロになり、影も形も姿もなくなる恐れがあります。今回見つかった井戸枠は地下水に浸かった状態で空気が遮断され、朽ちずに残ることができた、とのことでした。
 ここまで手をかけて作った井戸は、役割を果たしたあと、まるで井戸を封じるかのように大きな石と土を交互に入れて廃棄されていました。

 長い年月日の間地中で眠っていた井戸枠は、時間をかけて、弥生人が斧や鑿を使ってくり抜いた技術と根気には、頭が下がる思いでいっぱいです。
 弥生人の技術と地道な努力が詰まっている実物を間近で感じながら、彼らの暮らしぶりを想像してみませんか?

[令和4年6月掲載]


弥生の「食」

 現在の主な展示を紹介します。
 今回のテーマは、弥生人の食生活です。写真は青谷上寺地遺跡(鳥取市青谷町)の貝塚を剥ぎ取ったものです。

 たくさんの貝などが捨てられ、堆積した地層が貝塚で、写真で白く写っているところになります。なんと約2,200年から2,000年前に青谷に住んでいた人たちが、食べ物の残滓(ざんし)を捨てたものが堆積したものです。厚さは約70cmあります。

※貝塚・・・貝をはじめ、魚や動物、植物、食べ物の残りかす等、日々ゴミとして大量に出る貝殻と他の様々な生活廃棄物(土器など)と共に長年に亘って投棄し続けた場所。

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(1)土器のかけら

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(2)カキ

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(3)ウニのトゲ

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(4)ハマグリ 

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(5)アカガイ

 貝塚をよく観察すると、青谷上寺地遺跡は内海に面していたこともあり、魚や貝を獲っていたようで、カキ、ハマグリ、アカガイ等たくさんの貝殻、魚の骨、ウニのトゲなどが見つかり、青谷の弥生人たちが、豊富な海産物に支えられながら暮らしていたことが分かります。 

[令和4年5月掲載]


常設展示にある大型の出土品たち

 現在の主な展示資料を紹介します。
 常設展示では、県内の旧石器時代から古墳時代までの主な遺跡の出土品を紹介しています。
 その中で一番圧巻なのが、丸木舟と竪穴住居跡です。

〇丸木舟(全長:6m28cm 最大幅:68cm 鳥取市 青谷横木(あおやよこぎ)遺跡から出土)

 完全な形で出土した全長6mを超える長大な丸木舟が、現在展示中です!
 縄文時代後期(約4,500年前)から晩期(約3,000年前)に堆積した地層から出土しました。杉の木を創り抜いて作られています。
 3,000年以上前に作られたものがほぼ完全な形で出現するとは本当に驚きです。丸木舟は間近で見ると、季節に合わせて狩りや漁を行った、縄文人の姿を想像させてくれます。

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 出土した丸木舟は壊れやすい状態でしたが、保存や展示ができるように11ヶ月もかけて保存処理を行っています。

〇火災に遭った竪穴住居跡(鳥取市 下坂本清合(しもさかもとせいごう)遺跡で発見)

 約1,800年前に火事で焼け落ちた状態がとてもよく保存されていて、竪穴住居の垂木(たるき)や屋根葺き材柱、内装材などが残っています。屋根や柱などが炭となったことで、保存されたと考えられます。
 この展示品を実際見ていただくと、壁際の床に長さ170cm程度、幅50cm、深さ3cmの浅いくぼみがあることに気が付かれると思います。くぼみは身長160cm程度の人が横たわるとすっぽり入るような形となっており、住居内に横たわった痕跡とも考えられており、住居内の使われ方が想像できる資料でもあります。
 この竪穴住居跡は、現地で特殊な薬品を使って固めたのち、はぎとったものを展示しており、当時の建物の構造等が分かる貴重な資料です。

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 旧石器時代から古墳時代までの主な遺跡の出土品などともあわせて、縄文時代や弥生時代人々の生活をイメージしてみてください。

[令和4年3月掲載]


「遺跡王国 鳥取遺跡MAP」を展示室で見られます。

 展示室の大型モニターで「遺跡王国 鳥取県遺跡MAP」をご覧になることができます。

 全国でも指折りの遺跡数18,000箇所超を誇る県内の遺跡から、特に重要な遺跡を厳選し簡単な解説と写真で紹介しています。時代ごとの画面上で知りたい遺跡をタッチするだけで、その遺跡の情報を知ることができるようになっています。現在主な115遺跡の情報が御覧いただけるようになっています。

 今後も順次情報を追加していく予定ですので、どうぞ御期待ください。

情報の例(井手挟3号墳)

 ◎「遺跡MAP」の特長

 1 旧石器時代から奈良・平安時代までの7時代に分けています。

 2 旧市町村単位で、主な遺跡を収録しています。

 3 遺跡が機能していた各時代の地形を推定復元し、その図上に遺跡をマッピングしています。

  

 ー展示室ー

主な展示資料をご紹介します

 

■縄文土器
 土器の発明により煮炊きすることが可能となり、利用できる食料の種類が増えたと考えられています。縄文土器はおよそ12,000年前からあり、現在、世界で最古の土器といわれています。
 展示してある縄文土器は、鳥取市の桂見(かつらみ)遺跡で出土した縄文時代後・晩期(今から約4,000~2,300年前)のものです。
 

■弥生土器
 
今から約2,300年前に、大陸や朝鮮半島から伝わった水稲稲作が日本列島で本格的にはじまりました。土器も新しい形のものができ、特に貯蔵に用いる壺が多用されるようになりました。
 そのほかにも高坏(たかつき)や器台(きだい)といった形の土器も出てきます。

〇前期の土器
 鳥取市の桂見遺跡で出土した土器を展示しています。土器はいずれも大型の壺と甕です。甕は煮炊き用の土器で、今の鍋にあたるものです。これらの土器は、今から約2,300年前のものです。 (写真左)
 
〇中期の土器
  琴浦町の南原千軒遺跡の穴の中からまとまって出土した中期の初め頃(約2,200年前)の土器です。(写真右)
弥生土器の写真01 弥生土器の写真02
 その他の県内各地の中期の土器(今から約2,100~2,000年前)を展示しています。いろいろな形の土器があることが分かると思います。

〇後期の土器
  約1,800年前の土器で、甕と器台を展示しています。
 弥生時代の各時期の甕の口部分を見比べてみると、その形が変化していることが分かります。
 特にこの弥生時代の終わり頃の甕の口の形は山陰地方特有のものです。
 
■古墳時代の土器
〇土師器(はじき)
 湯梨浜町の長瀬高浜(ながせたかはま)遺跡から出土した土師器を展示しています。長瀬高浜遺跡は、古墳時代前期(約1,700年前)の大集落跡で、中部地域の拠点であったと考えられる遺跡です。特に目立つのは大型の土器である甑形土器(こしきがたどき)です。米を蒸す道具である甑に形が似ているため、そのように呼ばれますが、実際に何に使用したものかは分かっていません。

 

  

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センター紹介

 久松山地域は戦国時代以降鳥取城が築かれ、鳥取藩32万石の中心地でした。現在でもこの地域は県庁があり、行政の中心地となっています。

 しかし、戦国時代から遡ること約800年前の奈良時代、県庁から4キロほど離れたこの国府町に国史跡因幡国庁(現在の県庁にあたるもの)がありました。今ではひっそりとした田園地帯ですが、因幡三山(甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま))に囲まれ、当時の面影を残す万葉の歴史と古代の出土品にあふれた万葉の里となっています。
 この歴史豊かな万葉の里の一角に埋蔵文化財センターはあります。


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