鳥取まいぶん講座

第1回鳥取まいぶん講座「速報・長瀬高浜遺跡の調査成果」参加者の質問への回答

令和6年5月18日(土)に第1回鳥取まいぶん講座「速報・長瀬高浜遺跡の調査成果」を開催し、御好評をいただきました。講演後にいただいた質問について、講師である公益財団法人鳥取県教育文化財団調査室 文化財主事 田中正利氏が回答します。

 

【質問】

長瀬高浜遺跡のYouTube公益財団法人鳥取県教育文化財団調査室でも見たのですが、平安時代の掘立柱建物跡が「大社造」との事。この建物は神社(祠)のようなものだったのでしょうか?また、「大社造」という事は出雲地方との関連・交流などはどうだったのでしょうか?

 

【回答】

御質問いただきありがとうございました。

令和5年度の調査で見つかった3区の掘立柱建物2は9本の柱で造られた建物で、「大社造」と同じ柱の並び方をしています。ただ、このような柱の並び方をした建物のすべてが「大社造」だったわけではありません。今回見つかった建物も、柱の並び方以外に建物の形を知る手かがりがなく、「大社造」だったかどうかは不明です。

また、今回の調査では建物の性格を知ることができる出土品が見つかっていませんので、この建物がどのように使われたのかは分かっていません。建物周辺の出土品を調べたり、同じような事例を探したりして、建物の使われ方を調査したいと考えています。

講演でお話しましたが、古墳時代には東郷池が海とつながる入り海であったと考えられ、ここを港として利用することで長瀬高浜遺跡は日本海を介した交易を行っていたと考えています。

日本海を介した交易としては、北九州や北陸地域もそうですが、出雲地域との交流もあっただろうと思われます。

 

長瀬高浜遺跡(令和5年度調査)3区掘立柱建物2

長瀬高浜遺跡(令和5年度調査)3区 掘立柱建物2

(公益財団法人鳥取県教育文化財団調査室 提供) 

 

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「令和6年度 第1回鳥取まいぶん講座」を開催しました!

長瀬高浜遺跡(ながせたかはまいせき)は鳥取県東伯郡湯梨浜町の砂丘地に立地する遺跡で、弥生時代から鎌倉時代にかけての集落跡、古墳、畠跡などがみつかっています。集落内で多量の埴輪群がみつかったことで全国的にも有名で、鳥取県内でも重要な遺跡の1つです。(出土した埴輪は国の重要文化財に指定されています。)

長瀬高浜遺跡では、現在も発掘調査が実施されており、実際に調査を担当されている公益財団法人鳥取県教育文化財団調査室 文化財主事 田中正利氏を講師にお迎えし、第1回鳥取まいぶん講座「速報・長瀬高浜遺跡の発掘調査成果」を会場(当センター)とオンラインで同時開催しました

会場13名、オンライン20名の皆様に御聴講いただきました。

 

会場のようす

会場のようす

 

講座の前半は昭和と平成に行われた発掘調査の成果について解説をしていただきました。後半には、古墳時代前期の集落では井戸の周りを囲むように竪穴建物が建てられていることや、竪穴建物跡でみつかった囲炉裏跡など、令和の発掘調査でわかった最新の調査成果について解説していただきました。

会場で御聴講いただいた方からは、「昭和、平成の調査のほか、最新の調査成果を知ることができてよかった。」など、たくさんの御感想をいただきました。

 

また講座終了後には、参加者に関連イベントとして1階ロビーで開催中の企画展示「長瀬高浜遺跡を振り返る」を見学していただきました。多量に出土した埴輪群の出土状況や神殿の可能性が指摘される大型建物の検出状況などの写真パネル、実際に出土した遺物を展示しており、講座での解説も合わせて、長瀬高浜遺跡の重要さを存分に感じていただく機会となったのではないでしょうか。

 

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「令和6年度鳥取まいぶん講座」を開催します!

 当センターでは調査研究成果を県民の皆さんにお届けする「鳥取まいぶん講座」(全4回)を開催します!

 今年度は、長瀬高浜遺跡や古海古墳群といった鳥取県を代表する遺跡の発掘調査や鳥取県の青銅器の調査研究からわかった成果、民俗事例からみた考古資料の研究成果についてお話しします。講座は会場での聴講のほか、オンラインでの聴講も可能です。聴講を希望される方はいずれも講座の5日前までにお申込みください。

 お申込みは、とっとり電子申請サービスを御利用ください。

■令和6年4月18日(木)午前8時30分から募集を開始します(全4回)。

■会場参加を希望される方でとっとり電子申請サービスが御利用できない方は、電話でお申込みください。

 なお、日時、内容等は変更になる場合があります。最新情報は、ホームページを御覧ください。

 また、当センターでは鳥取まいぶん講座の内容に関連した企画展を開催します。会場参加の方には講座の聴講に合わせて展示を御覧いたただけます。

どうぞお楽しみに。

:会場

4回とも鳥取県埋蔵文化財センター2階研修室

2:日程・演題

(1)第1回(終了しました)
  1. 日程:5月18日(土)午後1時30分から午後3時まで(午後1時受付開始)
  2. 演題:「速報・長瀬高浜遺跡の調査成果」
  3. 講師:公益財団法人鳥取県教育文化財団調査室 文化財主事 田中正利氏
  4. お申込み先:とっとり電子申請サービス

 

第1回会場参加QRコード 第1回オンライン参加QRコード 

 
(2)第2回
  1. 日程:8月24日(土)午後1時30分から午後3時まで(午後1時受付開始)
  2. 演題:「鳥取県の青銅器」
  3. 講師:鳥取県埋蔵文化財センター 係長 西川徹
  4. お申込み先:とっとり電子申請サービス

 

第2回会場参加QRコード 第2回オンライン参加QRコード

 
(3)第3回
  1. 日程:11月16日(土)午後1時30分から午後3時まで(午後1時受付開始)
  2. 演題:「民俗事例からみる考古資料~暮らしのなかの祈り~
  3. 講師:鳥取県埋蔵文化財センター 係長 原島知子
  4. お申込み先:とっとり電子申請サービス

 

第3回会場参加QRコード  第3回オンライン参加QRコード 


(4)第4回
  1. 日程:令和7年2月15日(土)午後1時30分から午後3時まで(午後1時受付開始)
  2. 演題:「古海古墳群の新知見」
  3. 講師:鳥取県埋蔵文化財センター 文化財主事 森本倫弘
  4. お申込み先:とっとり電子申請サービス

 

第4回会場参加QRコード
第4回オンライン参加QRコード 


3:定員 

  1. 会場:25名(先着順)
  2. オンライン:定員の制限なし

※いずれも要申し込み(全4回)。

4 参加費

  • 無料(オンライン視聴にかかる通信料は自己負担です。)

5 関連企画展

講座の内容に関連した企画展を開催

  1. 会場:鳥取県埋蔵文化財センター1階
  2. 内容・期間
  • 【終了しました】「長瀬高浜遺跡を振り返る」5月10日(金)から7月11日(木)まで
  • 「発掘調査で出土した青銅器」7月19日(金)から10月31日(木)まで
  • 「民俗事例からみる考古資料~暮らしのなかの祈り~」11月8日(金)から令和7年2月6日(木)まで
  • 「古海・本高古墳群」令和7年2月14日(金)から3月19日(水)まで

 

↓↓チラシ画像をクリックしていただくと、PDFデータがダウンロードできます。

 鳥取まいぶん講座チラシ
  

第6回鳥取まいぶん講座「前方後方墳を考える」参加者の質問への回答

 令和6年2月17日(土)に第6回鳥取まいぶん講座「前方後方墳を考える」を開催し、御好評をいただきました。講演後にいただいた質問について、講師であるとっとり弥生の王国推進課の東方仁史(ひがしかたひとし)氏が回答します。

 

質問(1):普段寺1号墳で見つかっている合子形土器とはどのようなものですか。

回答:「合子(ごうす)」というのは、身と蓋を合わせて作った容器の一種です。古墳時代には、碧玉や緑色凝灰岩で作った小型の「合子形石製品」が古墳に副葬されています。

 普段寺1号墳の合子形土器は、粘土で形作って焼いたものですが、実用なのか仮器(祭り専用の器)化したものなのかは明らかではありません。ただし、類例は少なく、普段寺1号墳のように飾られた土器は類例がないことから、特殊な土器であったのは間違いないようです。

 

質問(2):本高14号墳は、裾部が非常に細長い特異な形状ですが、なぜ他の前方後円墳の形状と異なるのでしょうか。また、近くにある古海36号墳も細長い前方部をもつ前方後方墳の可能性があるとのことですが、本高14号墳と関係があるのでしょうか。

回答:本高14号墳の前方部は非常に細長いのが特徴です。古墳時代前期前半期には「柄鏡型」とも呼ばれる、前方部が細長い形の前方後円墳が見られます。これとの関連を考える必要があると思います。また、本高14号墳が築かれた丘陵は、後円部が作られた部分から前方部方向に急に幅が狭くなっているため、地形に制約された可能性も考えられます。

 なお、古海36号墳は本高14号墳ほど前方部が細くないのですが、後方部と前方部の軸がずれており、これも地形に制約されたためではないかと考えています。

 本高14号墳と古海36号墳は墳形が異なり、墳丘の形もそれほど似てはいないのですが、大きさがほぼ等しい(63m程度)のは注意すべきと考えています。というのは、古墳の大きさは被葬者の権力の大きさを反映するものであり、両古墳の被葬者像や関係を考える上で重要な手がかりになると考えるからです。

 

質問(3): 本高14号墳と古海古墳群は、名称が異なりますが同じ丘陵上に築造されています。同じ集落のものと考えられますか。

回答:古墳群については、所在や数を把握するため、大字(おおあざ)をその古墳群の名称とすることを基本としています。本高古墳群と古海古墳群に加え、宮谷古墳群もそれぞれ近接する丘陵上に位置していますが、それぞれの大字の名称がつけられているため別の古墳群という印象を受けます。古墳群とその造営主体となった集落等の関係を考える上では、地形上の分布とともに古墳が見える、あるいは古墳から見える範囲、ということも考える必要があります。

 本高14号墳と古海古墳群については、非常に近接して築造されており、関係が深いものと考えられますが、造営主体が同じ集団であったのかは今後の調査結果によるものと考えます。

 

質問(4):昔の盗掘する人たちは、どうやって埋葬位置などを見つけたのでしょうか。 回答:盗掘は穴を掘っていて偶然発見する場合もありますが、意図的に狙っている場合が多くあります。盗掘が行われた時代は、中世(鎌倉~室町時代)と近代(明治~戦前)が多いようです。

 特に近代では、明治以降の考古学の進展に伴い盛んとなった新聞報道や刊行された発掘調査報告書の情報などから、古墳というものの構造や副葬品、埋葬施設の種類や位置について知ることができたため、埋葬施設を狙って盗掘が行われています。中には、組織的な盗掘が行われた事例もあったようです。

 

質問(5):海運が盛んだったと聞くが、埴輪の形のように古墳の形状も渡ってきた、などあるでしょうか。

回答:古墳の形は円か方か、両者がくっついた形か、それほどバリエーションがないので渡ってきたかどうかは分かりません。

 古墳時代終末期(7世紀)には、八角形の古墳が築かれますが、この形の元となった考え方は中国から伝わったと考えられています。

 

質問(6):但馬の古墳は5世紀頃までは浜坂~香住~豊岡位なでは鳥取や出雲の方と造り方、遺物もよく似ているとお聞きしました。因幡や出雲とも但馬の方は古くからお付き合いがあったのでしょうか。

回答:近年、北近畿山陰自動車道の建設に伴う発掘調査で、但馬地方の遺跡の発掘調査が多く行われています。その中では古墳の調査も行われており、埋葬施設上に標石をおく事例や枕として土師器の鼓形器台を使用する例が確認されており、これは因幡の古墳でも見られる特徴です。但馬地方でもとくに西半では因幡との関わりが強いことが分かります。

 

質問(7):出雲でよく出土している四隅突出型墳丘墓と但馬や因幡との関係について、どの様にお考えでしょうか。

回答:長方形の四隅が外側に伸びた形の「四隅突出型墳丘墓」は、出雲を中心に東伯耆まで広く分布しているほか、北陸地方でも築造されています。一方、但馬や丹後など、北近畿地方では確認されておらず、別の墓制を取っていたことが分かります。その間の因幡においては確認された事例は多くありませんが、四隅突出型墳丘墓とされる墳丘墓は存在しており、その分布範囲に含まれます。因幡における四隅突出型墳丘墓については、調査が及んでいない面も大きいので、今後の調査研究により新たな発見があるかもしれません。

 

質問(8):鳥取県の前方後方墳について、出土遺物や古墳の構造に関係する出版物や資料についてご紹介ください。

回答:鳥取県内の前方後方墳は、不確実なものも含め10基ほどと少なく、これらに関する研究はほとんど進んでいません。なお、県内に多く存在する古墳については、鳥取県立公文書館が刊行した『新鳥取県史 資料編2 古墳時代』(平成31年)で代表的なものを紹介しています。

 なお、出雲の前方後方墳については、島根県古代文化センターの『前方後方墳と東西出雲の成立に関する研究』(平成27年)で検討が加えられており、大変参考になります。


第6回鳥取まいぶん講座「前方後方墳を考える」を開催しました!

 令和6年2月17日(土)にとっとり弥生の王国推進課係長の東方仁史氏を講師に迎え、第6回鳥取まいぶん講座「前方後方墳を考える」を会場(当センター)とオンラインで同時開催しました(写真)。

会場12名、オンライン17名の皆様に御聴講いただきました。

 講演では鳥取県内で見つかっている前方後方墳のこれまでの調査成果を解説した上で、前方後方墳とは何かについて、前方後円墳との共通点や異なる点など、分かりやすくお話ししていただきました。

 参加いただいた方からは、「前方後方墳は知っていたが、鳥取にあることは知らなかった」、「前方後円墳だけでなく、前方後方墳についても今後は注目してみたい」、などの感想をいただきました。

 また講演の後は、当センターで開催中の企画展「鳥取県の前方後方墳」を見学される方もおられました。展示は3月29日(金)まで行っています。皆様のご来場をお待ちしております。

 展示についてはこちらまで。

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(写真)会場の様子


第5回鳥取まいぶん講座「東伯耆の中世城館」でいただいた質問への回答

 令和51216日(土)に、第5回鳥取まいぶん講座「東伯耆の中世城館」を開催し、御好評をいただきました。講演後にいただいた質問について、講師である鳥取県立むきばんだ史跡公園の大川泰広(おおかわやすひろ)氏が回答します。

 

質問:中世城館は、どんな建物だったのでしょうか。

回答:今回は中世城館を「城跡」としてお話しました。当時の城につくられた建物としては板葺きの掘立柱建物があったと考えられます。

 しかし、鳥取県内での発掘調査において、中世城館で掘立柱建物跡がみつかった事例は多くありません。

 

質問:打吹城は、南条氏の拠点だったのでしょうか。

回答:織田・毛利戦争を経て、東伯耆を南条氏が治めた時代(関ヶ原の合戦の後に改易されるまで)には、南条氏の拠点の一つだったと考えられます。

 

質問:大谷城は誰がどういう目的で整備したのか。防御施設は西側の敵に向けて設けられているように思われる。今倉城との関係も考える必要がある。整備の内容が新しいものと古いものがあるように思われるので、2段階にわたって整備され、それぞれ違う目的で別の者が整備したのかも知れない。

回答:築城、改修の主体を絞り込むことは難しいです。講座でお話したところでいえば、大谷城は天正8年から一時期(おそらく天正11年ころまで)毛利の勢力下にあったと考えられます。その前後は在地領主の城(南条方か)と考えています。

 現在の姿は最終的に整備されたものです。防御施設として南北に長い曲輪の東西両端には急な斜面からなる切岸が広く設けられています。東側には一部土塁と堀が二重にめぐる箇所も認められ、谷を挟んで西側には今回新しく城跡と考えられる施設も確認できました。いただいたご意見のように、整備主体は複数あると考えています。

 

質問:吉川元春はなぜ船上山に陣を置いたのでしょうか。交通の要(かなめ)でもないように見えますが、重要な地なのでしょうか。

回答:船上山は東伯耆の東端で標高が高く、東側に広がる平野部を見通せる場所です。東伯耆の地形を考えると、地勢的に優位な場所にあることが「陣」として毛利方が利用した理由の一つではないか、と考えています。

 

質問:市場城や岩倉城よりも北側の天神野台地に「北の城」(現在の倉吉西中学校)があります。この城が織田・毛利戦争に使われた可能性はありますか。どのようにお考えでしょうか。

回答:織田・毛利戦争時に機能した可能性はあると思います。「北の城」は倉吉市福光に築かれた今倉城と、打吹城の中間に位置し、南西から北東に伸びる天神野台地の北端で舌状に伸びる丘陵を利用した城と考えられます。同じ台地の南側は小鴨氏との関連が考えられる小鴨地区であることから、「北の城」は小鴨氏との関係性が高い城と考えらえます。

 

質問:資料の中で出てきたCS立体図ですが、個人でも県内の他の地区の図を見ることは可能でしょうか。また閲覧可能な場合、必要な手続きを踏めば非商用で利用は可能でしょうか。

回答:今回使用したCS立体図は鳥取県の制作であり、公開されていません。講座で配布した資料についても転載はご遠慮ください。

 ただし、情報公開条例の運用に基づく任意提供(情報提供)依頼により提供が可能です。詳しくは所管する農林水産部林政企画課にお問い合わせください

 なおデータとしては粗いものとなりますが、G空間情報センターのホームページから、全国のCS立体図(10mメッシュDEMを使用・利用するには登録が必要)を閲覧できます。


第5回鳥取まいぶん講座を開催しました!

 令和51216日(土)に、第5回鳥取まいぶん講座「東伯耆の中世城館」を会場(当センター)とオンラインで同時開催しました(写真)

 会場18名、オンライン16名の皆様に御聴講いただきました。

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(写真)会場の様子

 会場で御聴講いただいた方からは、「講師の思いも感じられ、楽しく拝聴できました。」「資料が分かりやすくてよかった。」「山城が好きなので、東伯耆の続編や西伯耆についてもお話を聞きたい。」など、たくさんのご感想をいただきました。

 また講座終了後は、1階の展示室で開催中の企画展示「東伯耆の中世城館」を、講師の解説を交えながら見学していただきました。


鳥取まいぶん講座と古代山陰道特別講演会Q&A(その1) 第4回鳥取まいぶん講座「こうしてわかった!!古代山陰道」編

 令和51021日(土)に第4回鳥取まいぶん講座「こうしてわかった!!古代山陰道」、令和51125日(土)に令和5年度鳥取県埋蔵文化財センター古代山陰道特別講演会「古代山陰道とその未来」を開催し、御好評をいただきました。講演後にいただいた質問について、全6回(その1~その6)にわたって回答をしていきます。

 

 第1回目は鳥取まいぶん講座でいただいた質問について回答します。

 第2回から第6回目については古代山陰道特別講演会でいただいた質問について回答します。なお、第2回から第5回の回答については、古代山陰道特別講演会で御講演いただいた文化庁文化財第二課主任文化財調査官の近江俊秀(おおみとしひで)氏にお願いしました。どうぞお楽しみに!!

 

 では、第1回目の回答です。

Q:善田傍示ヶ崎(よしだぼうじがさき)遺跡と青谷横木(あおやよこぎ)遺跡の間には、田、川の明確な痕跡はありますか?

A青谷町では、勝部川が流下する勝部谷(鳴滝集落から吉川集落付近)と日置川が流下する日置谷(蔵内集落から養郷集落付近)において、人文地理学の研究者である中林保(なかばやしたもつ)氏により条里地割が復元されています。

 さらに、中林氏が条里地割を復元されたエリアより下流域の青谷上寺地遺跡と青谷横木遺跡で、発掘調査により条里地割と考えられる帯状の盛土遺構がみつかっていますので、お尋ねの範囲で明確な水田痕跡は確認されていないものの、条里制に基づいた水田区画があったと考えられます。

 川については、現在の日置川がお尋ねの範囲のどこかを流れていたと考えられ、古代山陰道はその川を渡らざるを得なかったと考えています。

 

Q:国府町周辺で古代山陰道が明らかになっている箇所はありますか?

A残念ながら、国府町周辺では古代山陰道は見つかっていませんが、駅路は都と地方の国庁を最短距離で結ぶように造られることから、因幡国庁の近くを古代山陰道が通過すると考えられています。

 

Q:今後の発掘調査について、現地説明会はありますか?

A今年度は、古代山陰道の現地説明会の予定はありません。今後、「古代山陰道ウォーク」等、現地を御案内する機会があれば、当センターホームページでお知らせします。

 

Q:(青谷上寺地遺跡の発掘調査で古代山陰道が)たまたま見つかってびっくりしたという話だったが、それまでは青谷の古代山陰道についてどこまで分かっていたのですか?

A青谷町の古代山陰道は歴史地理学の研究によりいくつかの路線が示されていましたが、発掘調査により古代山陰道が確認できたのは、青谷上寺地遺跡が初例となります。その後は、青谷横木遺跡などの発掘調査により次々と古代山陰道が発見され、青谷平野から東側丘陵にかけての路線を確定することができました。

 

Q:「つづら折り」の急斜面を、人を乗せて本当に馬が坂を登れるのでしょうか?

A古代官道の研究者である木本雅康氏の研究によれば、25度程度の斜面であれば馬は直登が可能とされています。

 青谷東側丘陵の西側斜面は斜度が26~31度であることから馬が直登するのは困難であり、その対策として「つづら折り」が採用されました。「つづら折り」により道路の傾斜は約9度となり、斜面を直登する場合と比較し、約3分の1に斜度が緩和できたことがわかります。よって、「つづら折り」の採用により、馬が駅使を乗せて青谷を通過することが可能となったと考えられます。


企画展示「東伯耆の中世城館」を開催しています

【終了しました】

  令和5年12月8日(金)から令和6年1月12日(金)までの会期で、企画展示「東伯耆の中世城館」を開催しています。

 当センターでは、令和元年度から中世城館の再調査事業を行っており、令和2年度からは「東伯耆」の中世城館を対象に、当時の有力者のものと推定されている集落や居城が色濃く残る倉吉市小鴨地域をフィールドとして調査を行っています。

 今回の展示では、令和3~5年度に実施した市場城跡の発掘調査成果とともに、小鴨氏に関係するといわれている遺跡を図や写真、出土品などで紹介しています。

 また、12月16日(土)に開催する第5回鳥取まいぶん講座では、「東伯耆の中世城館」と題して、鳥取県立むきばんだ史跡公園文化財主事の大川泰広氏が講演します。

 皆様の御来場をお持ちしております。

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展示室入り口

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展示状況


【募集を終了しました】第5回鳥取まいぶん講座「東伯耆の中世城館」の参加者を募集しています。

 鳥取県埋蔵文化財センターでは、令和3年度から倉吉市内にある市場城跡の調査を行っています。

 今回の講座は「東伯耆の中世城館」と題し、これまで市場城跡で行ってきた発掘調査や地形測量などの新たな成果をはじめ、東伯耆の中世城館の様相についてお話しします。

  • 開催日時:令和5年1216日(土)の午後1時30分から午後3時まで
  • 会場:鳥取県埋蔵文化財センター(鳥取市国府町宮下1260
  • 定員は会場参加25名、オンライン参加40

この機会にぜひご聴講ください。

申し込みはこちらまで。

↓チラシ画像をクリックしていただくとPDFデータがダウンロードできます。

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第4回鳥取まいぶん講座を開催しました!

 令和5年10月21日(土)に、第4回鳥取まいぶん講座「こうしてわかった‼古代山陰道」を当センター会場とオンラインで同時開催しました(写真)。

 会場10名、オンライン16名の皆様に御聴講いただきました。

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(写真)会場の様子

 会場で温聴講いただいた方からは、「分かりやすい地図や写真のほか、他の遺跡の例がたくさんあって、とても理解しやすかった。」「古代山陰道についてこれまでの振り返りができてよかった。ちょっとしたエピソードなども聞けて面白かった。」などの感想をいただきました。また聴講後には1階の展示室で、古代山陰道の発掘調査で出土した遺物やパネル展示を熱心に見学し、講師に質問する方もおられました。

 次回、第5回の鳥取まいぶん講座は「東伯耆の中世城館」というタイトルで1216日(土)に開催予定です。ぜひご参加ください。

▶申し込みはこちらまで。

 

 なお今回のテーマである古代山陰道については、11月25日(土)に令和5年度鳥取県埋蔵文化財センター古代山陰道特別講演会「古代山陰道とその未来」を開催します。申し込みの受付を開始していますので、こちらもぜひ申し込みください。

▶申し込みはこちらまで。※募集〆切は11月22日(水)午後5時まで

第3回鳥取まいぶん講座のご質問について回答します。

 令和5年8月5日(土)に、奈良文化財研究所都城発掘調査部の主任研究員小田裕樹氏による「奈良時代の娯楽と遊戯」の講演を行い、聴講された皆様から3つの質問をいただきました。

 いただいたご質問への講師の回答は、以下のとおりです。

【質問1】

「かりうち」の盤面はすべて転用であるということでした。どんなものでも即席で盤面にできるのが利点ですが、初めから(焼成前から)盤面としてつくっている土器も、今後出土する可能性もありますか?

【回答1】

 現在までに確認している「出土かりうち盤面」はいずれも食器や折敷(おぼん)、磚(古代のレンガ)などに刻点や墨書きで盤面を記入しています。土器を焼成する前に盤面を描いた事例などはなく、専用の盤面として作られたものは見つかっていません。

 私は、この傾向を踏まえて、身近にあるものを転用し、即席で盤面を作りゲームを始めることができるのが「かりうち」の特徴と考えています。

 この私の仮説が正しければ、初めから(焼成前から)盤面として作られた専用品が出土する可能性は低い、と考えています。ただ、まだ出土例が9例と少ないこともあり、今後専用の盤面が見つかる可能性はゼロではありません。専用のかりうち盤面が出土するとしたら、どのような材質でどのような形の盤面なのかとても興味があります。

 今後の出土例の増加に期待しています。

【質問2】

 土器の列点はかなり小さいものもありますが、そのまま盤面として使っていたのか、それともレイアウトとして(例として)実際には使っていなかった可能性も考えられるのではないか。(たとえば、横に置いて、別に地面などに盤を書くとか)

【回答2】

 ご指摘の通り、列点の直径がとても小さい事例があります(平城宮東南隅出土例)。私は、この小さな列点の事例について、遊戯の盤面である可能性と呪術的な記号の可能性を考えています。

 まず、遊戯の盤面の場合、現代の私たちでは想像が難しいくらい非常に小さな駒を使用していたことになります。ただこの可能性は低いように思います。

 次に、呪術的な記号つまり「おまじない」の記号として使用された可能性が考えられます。

 古代において遊戯とまじないの境界は明確ではありませんでした。サイコロなどを振って、采の目を決める遊戯は、その目の出方が運によるものであり、これを神の意志と考えて呪術や占いに使われることがありました。韓国でもユンノリは占いの一種として使われていた(遊ばれていた)こともあるようです。

 具体的な使用方法は分かりませんが、この小さな盤面(記号)も「おまじない」などの一環として使われていた可能性があるのではないか、と考えています。

【質問3】

 何故廃れたのか。

【回答3】

 ご質問はまさに、かりうち最大の謎です。現代韓国では今もユンノリが遊ばれているのに、なぜ日本では廃れたのか?私もまだ納得のいく答えは出せていません。

 講演ではお話しできませんでしたが、かりうちは13世紀ごろには衰退しつつあったと考えられます。かりうちが廃れた=遊ばれなくなったということは、人々が面白いと感じられなくなったことを示していると考えられます。とすると、この頃に「別の面白い遊び」がかりうちに取って代わったのではないかと考えています。

 私が気になっているのは「将棋」の登場です。

 将棋は現代日本で広く楽しまれていますが、奈良時代の日本ではまだ遊ばれていませんでした。現時点では、奈良の興福寺で「天喜六年」(1058 年)銘の紀年資料と共に出土した駒が日本最古の例で、この頃に将棋が遊ばれ始めたと考えられています。

 将棋が日本に伝来し普及する時期とかりうちが衰退しつつある時期が重なることから、私は将棋の普及・流行に押されて徐々にかりうちが遊ばれなくなったのではないか、との見通しを持っています。

 ただ、まだ検討が不足しており推測の域を出ません。今後も出土資料をはじめとして、様々な視点から検討をしていきたいと思います。


第3回鳥取まいぶん講座を開催しました!

 令和5年8月5日(土)に奈良文化財研究所都城発掘調査部の主任研究員小田裕樹氏を講師にお迎えし、第3回鳥取まいぶん講座「奈良時代の娯楽と遊戯」を開催しました。(写真1)

 はじめに奈良時代の遊戯について、文献や伝世品、考古資料から、囲碁、コマ、木とんぼなど現代まで続く遊びのほか、「かりうち」という今の日本には伝わっていない遊びがあることを教えていただきました。

 次に「かりうち」という遊びについて、平城京から出土した土器の中に、列点記号をもつ土器があることに着目し、同じような土器などが各地で見つかること、韓国の伝統的な遊びである「ユンノリ」との類似から古代のボードゲームであることを明らかにした経緯や、「ユンノリ」のルールを参考に、「かりうち」を現代によみがえらせたことなど、韓国でのエピソードなどを交えて楽しくお話しいただきました。

 最後に「かりうちプロジェクト」の説明があり、全国の教育機関などで体験できるプログラムを紹介されたほか、将来は旧国単位で代表を決定し、平城宮で大会を開催するという目標も語っていただきました。

 参加者は熱心に聴講されており、アンケートでも「楽しく聞くことができた」、「分かりやすかった」というお答えのほか、現在行われている企画展示「古代の遊び」についても、「これから見たい」というお答えが多く寄せられました。        

 講演終了後は、奈良文化財研究所で復元した「かりうちキット」を用いて実際に「かりうち」を体験しました。(写真2)

▶体験についての動画は、YouTubeをクリックしてください。

 

  次回、第4回は令和5年10月21日(土)に鳥取県埋蔵文化財センターで、「古代山陰道の調査成果」と題して当センターの森本倫弘が講演します。ぜひご参加ください。

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(写真1)講演会の様子

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(写真2)かりうちの様子

 

第5回鳥取まいぶん講座を開催しました。

 令和5年3月18日(土)に「因幡の中世城館を探る」と題して今年度最後の鳥取まいぶん講座を行いました。

 当日は、会場17名、オンライン7名の方にご参加いただきました。

 県内では山間部を中心に林産資源活用のためにレーザ測量で取得した地形データが蓄積されつつあります。このデータからは色の違い濃淡で傾斜が判別できる微地形図が作成でき、新たな城跡の発見や、これまでわかっていた城跡についても範囲や構造の違いが見えてくるようになりました。

 講座では、戦国時代に在地領主の拠であった伝承が残る山城の立地や構造について、立体的に見える地形図によって見えてきた特徴を解説しました。これらの山城は、因幡国内の交通の要衝に近い山に築かれており、山頂部を削平して大きな曲輪(くるわ)を造り出しています。城跡に残る防御施設として共通するのは、曲輪群の両端に堀切を設けることです。また、後の山城に見られるような曲輪の出入口(虎口:こぐち)を造りこむような造作や横堀といった施設はほとんど設けられないという傾向が見えてきました。

 講座の参加者からは、「地形図の見方がわかって、城跡の様子がわかった」、「山城に登りたくなった」といった感想をいただきました。

 令和5年度も、埋蔵文化財センターで行っている調査研究事業について鳥取まいぶん講座の中で皆様にご紹介していきます。3月20日(月)から参加募集を行っていますので、奮ってご応募ください。

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講座の様子


【募集を終了しました】令和5年度鳥取まいぶん講座の参加者を募集します。

 一部講座を除いて令和5年3月20日(月)から募集を開始します。各回とも募集は開催日の3日前までです。

  第2・3回を除き、各回とも会場は鳥取県埋蔵文化財センター(鳥取市国府町宮下1260)、開催時間は13時30分から15時まで(受付開始13時)、定員は会場参加25名、オンライン参加40名です。

 御参加を希望される方は各回リンク先の「とっとり電子申請サービス」でお申し込みください。

 講座のタイトルは仮題で変更になることがあります。

 日程等が変更となった場合には、ホームページでお知らせするとともに、お申し込みされた方にメール又は電話で連絡します。

 「とっとり電子申請サービス」が御利用になれない方は電話でのお申し込みも受け付けております。

【終了】第1回 令和5年4月15日(土)「曲物の世界」講師 家塚英詞(当センター職員)

  • 会場申込みリンク先
  • オンライン申込みリンク先

 

【終了】第2回 令和5年6月17日(土)「律令期の木製祭祀具(人形・馬形)-伯耆国・因幡国出土遺跡の特徴」 講師 兵庫県立考古博物館 名誉学芸員 大平 茂氏

  • 会場申込みリンク先
  • オンライン申込みリンク先

 

【終了】【7月3日(月)募集開始】第3回 令和5年8月5日(土)開催 講演会と体験会は別のお申込みとなります。体験会だけのご参加も可能です。 1 講演会「奈良時代の娯楽と遊戯」奈良文化財研究所 主任研究員 小田 裕樹氏
  • 会場参加申込みリンク先(200名)
  • オンライン参加申込みリンク先(40名)
2 古代のボードゲーム「かりうち」体験会
  • 体験会申込みリンク先(10グループ、1グループ2名以上4名以下)

 

 

【終了】第4回 令和5年10月21日(土)開催「古代山陰道の調査成果」 講師 森本倫弘(当センター職員)
  • 会場申込みリンク先
  • オンライン申込みリンク先

 

 

【終了】第5回 令和5年12月16日(土)開催「東伯耆の中世城館」講師 鳥取県立むきばんだ史跡公園 文化財主事 大川泰広氏
  • 会場申込みリンク先
  • オンライン申込みリンク先

 

 

【終了】第6回 令和6年2月17日(土)開催「前方後方墳を考える」講師 とっとり弥生の王国推進課 係長 東方仁史氏
  • 会場申込みリンク
  • オンライン申込みリンク

第4回 鳥取まいぶん講座「鳥取平野の前方後円墳」を開催しました。

 令和5年1月21日(土)午後1時30分から当センター東方仁史係長を講師に第4回鳥取まいぶん講座「鳥取平野の前方後円墳」を開催しました。会場・オンライン合わせ、34名の方に御参加いただきました。

 鳥取平野の周辺ではこれまでに約50基の前方後円墳の存在が知られていましたが、前方後円墳としての規模や大きさなど、過去に行われた現地踏査から得られた情報しかありませんでした。

 近年、鳥取県では、新鳥取県史編さん事業による古墳の地形測量や、林産資源の活用事業に伴って行われた測量として、「航空レーザ測量」という新しい測量方法が行われ、細かな地形データが得られています。この地形データを用いることによって、前方後円墳をはじめとする古墳や山城といった、地形を大きく変えて築かれた遺跡の情報をより詳しく知ることができます。

 今回の講座では、こうした測量データをもとに鳥取平野に築かれた前方後円墳について、大きさや形の傾向に関して得られた新たな知見や、未発見の前方後円墳が存在する可能性を紹介し、新たな研究の方向性を提示しました。

 参加された方から、「新しいことがわかるのはとても楽しみだ」といった感想をいただきました。

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会場の様子

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測量データからみた前方後円墳


埋文センター40年の歴史(2)令和4年7月16日(土)は、まだある埋文新発見

 青谷上寺地遺跡ではDNA分析から弥生人の復顔が行われ、弥生時代の新しい事実を発信していることは皆さんの記憶に新しいことと思います。

 鳥取県では平成10年以降、青谷上寺地遺跡以外にも、多くの遺跡の発掘調査が行われ、縄文時代から近世にいたる各時代にまつわる歴史的発見が確認されていることはご存じでしょうか。

 湖山池の南東に広がる平野に営まれた大桷遺跡(だいかくいせき)では縄文時代晩期から弥生時代前期にかけて、少しずつ生活域が平野部に広がってきたことが明らかとなっています。この遺跡では、古代(8~10世紀頃)にまじないに使われた馬や刀を模造した形代(かたしろ)をはじめ、絵馬や災いや邪気をはらう呪文などが書かれた呪符木簡(じゅふもっかん)など、当時の人々の祈りの形を伝える遺物が多数出土しています。

 鳥取西道路の鳥取ICから西へ走ってすぐに見えるトンネルの上には本高古墳群(もとだかこふんぐん))があります。なかでも本高14号墳はこの地域の首長のお墓で、近畿地方とのつながりを持ったことを示す前方後円墳です。しかも山陰地方でも最古級に位置付けられることが発掘調査の中で明らかとなり、その重要性から現地に調査当時の姿のまま保存されることとなりました。

 また、大山山麓でみつかった豊成叶林遺跡(とよしげかのうばやしいせき)や下甲退休原第1遺跡(しもぎたいきゅうばらだいいちいせき)の発掘調査では、はるか3万年前の旧石器時代の狩人が残したナイフの形をした石器や、それを作る際に生じた破片が見つかり、重要な発見として豊成叶林遺跡から出土した石器類は鳥取県の保護文化財に指定されました。

 第2回鳥取まいぶん講座では、埋文センター40年の歴史(2)「歴史を塗り替えた発見」として、鳥取県の歴史を考える上で注目される遺跡、遺物をご紹介したいと思います。

 皆様ふるってご参加ください。 

第2回 鳥取まいぶん講座

日時:令和4年7月16日(土)午後1時30分から

場所:さざんか会館大会議室(鳥取市総合福祉センター)

   鳥取県鳥取市富安2丁目104-2

※会場参加とオンライン(Cisco Webex Eventsを利用)でのご参加ができます。

ここをクリックしてください (pdf:712KB)


第1回鳥取まいぶん講座を開催しました!

 令和4年5月21日(土)、鳥取市総合福祉センター「さざんか会館」の大会議室で、「第1回 鳥取まいぶん講座」を開催しました。新型コロナウイルス対策で広い会場での開催とし、会場での聴講とともにオンライン(Cisco Webex Events)同時配信による開催でした。
 講座では、当センター山枡雅美係長が「埋文センター40年の歴史(1)」というテーマで、昭和25年の文化財保護法制定から始まり、経済成長とともに増加する開発事業との調整の中で埋蔵文化財の保護に奔走した鳥取県教育委員会の取り組みと、埋文センターの設立の経緯や意義などをわかりやすく解説しました。当時の発掘調査を当事者目線で振り返るなど、中身の濃い講座でした。
 次回は7月16日(土)、「埋文センター40年の歴史(2)」というテーマで予定しております。埋文センター40年の歴史(2)では、2000年代以降に行われた大規模な発掘調査に焦点をあて、妻木晩田遺跡、青谷上寺地遺跡以外にも歴史を塗り替える発見によって注目された遺跡をご紹介します。
 会場は同じさざんか会館大会議室で、オンライン聴講も可能です。ぜひとも御参加ください。

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講座の様子(1)

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講座の様子(2)


第1回鳥取まいぶん講座「埋文センター40年の歴史(1)」を開催します

 今年、鳥取県埋蔵文化財センターは設立40周年を迎えます。
 令和4年5月21日(土)は鳥取まいぶん講座「埋文センター40年の歴史(1)」としてセンターの歴史を掘り起こし、埋蔵文化財センターがたどってきた40年のうち、前半の約20年の歩みをふりかえってお話いたします。
 昭和25年の文化財保護法制定以後、日本が経済成長をとげる中、開発と埋蔵文化財の保存との調整が大きな問題となっていきます。鳥取県内でも同様の問題が生じ、埋蔵文化財の保存、調査、活用などを推進するために埋蔵文化財センターが設置されました。その後、さらに開発事業が多くなるにつれ、埋蔵文化財センターの役割が大きくなっていく歩みをお話いたします。
 なお、今年度は「さざんか会館」(鳥取市総合福祉センター:鳥取市富安2丁目104-2)5階、大会議室を講座会場(定員40名)としております。
 また、オンライン(Cisco Webex Events利用)参加(定員40名)も募集しています。皆様ぜひご参加ください。
 節目の年に当たり、センターの歴史を振り返る企画展「埋文センター40年の歴史(1)埋蔵文化財センター40年の歩み」(4月8日~5月27日)を埋蔵文化財センター展示室で開催しています。21日は午後1時から午後5時まで開館いたしますので、ぜひ御覧ください。

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長瀬高浜遺跡、埴輪群出土状況写真


令和4年度 鳥取まいぶん講座を開催します。

 今年度も当センターでは最新の調査研究成果を県民の皆さんにお届けする「鳥取まいぶん講座」を開催します!今年度は、計5回の講座を予定しています。
 前半2回は、今年開所40周年を迎える埋蔵文化財センターの歴史と調査研究のあゆみ等についての講座を行います。また、後半3回は、今年度実施する調査研究事業に関連し、因幡(鳥取県東部)の古墳、古代山陰道、中世城館についての講座です。いずれも企画展示と関連する内容となっていますので、講座終了後には埋蔵文化財センターにて展示をご覧いたただけます。どうぞお楽しみに。
 なお、講座は新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、完全事前申込み制とするとともに、会場を「さざんか会館」としております。また、会場での聴講のほか、オンラインでの聴講も可能です。聴講を希望される方はいずれも講座の3日前までにお申込みください。
 新型コロナウイルス感染症の状況によっては、中止または予定を変更することがあります(例:オンライン開催のみ)。その場合はホームページ等でお知らせします。

○第1回 「埋蔵文化財センター40年の歴史(1)」

日時:5月21日(土)午後1時30分から午後3時まで

場所:さざんか会館 大会議室(鳥取市富安2丁目104-2)
定員:会場40名 オンライン40名(先着順)

○関連展示 企画展『埋蔵文化財センター40年の歴史(1)』

日時:4月8日(金)から5月27日(金)
場所:鳥取県埋蔵文化財センター

こちらをクリックしてください→令和4年度鳥取まいぶん講座 (pdf:279KB)

  

第6回鳥取まいぶん講座を開催しました!

 令和4年3月19日(土)に、第6回鳥取まいぶん講座「因幡の古墳」を開催しました。すでに定員一杯の申込みがありましたが、新型コロナウイルス感染症第6波の収束が見えないことや、会場がやや狭いことなどを考慮し、急遽会場をとりぎん文化会館第4会議室に変更しました。また、合わせて前回同様インターネットでの同時配信を行うこととし、会場での聴講とオンライン聴講を合わせ、18名の方に御参加いただきました。
 今回は、当センター東方係長が「因幡の古墳 方墳から前方後円墳へ」として、今年度から開始した「鳥取県内古墳調査研究事業」のテーマ1「鳥取県内における前方後円墳築造開始期の研究」に関連し、山陰最古級の前方後円墳である本高(もとだか)14号墳の築造に至る背景について、大型方墳に始まる千代川左岸の古墳築造状況や、本高弓ノ木(もとだかゆみのき)遺跡の木製構造物との関連などについて、プレゼンテーションソフトを用いて解説しました。
 会場に参加された皆様は熱心に聴講しており、「ポイントが絞られてまとまっており、分かりやすかった」等との御感想もいただきました。
 なお、今回のまいぶん講座は、現在開催中の企画展「因幡の古墳」(会期:3月31日まで)と関連しており、終了後には企画展観覧のため、特別開館に来館される方もありました。
 さて、今年度のまいぶん講座も、新型コロナウイルス感染症感染拡大に伴い色々と変更等がありましたが、無事6回の講座を行うことができました。参加された皆様に厚くお礼申し上げます。まいぶん講座は来年度も引き続き実施予定で、奇数月の第3土曜日に開催することにしておりますので、どうぞ御参加ください。ちなみに、令和4年は埋蔵文化財センター開館40年という節目で、それにちなんだ内容の講座も予定していますので、お楽しみに。詳細はホームページや年間スケジュールなどを御覧ください。

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講座の様子


第5回鳥取まいぶん講座を開催しました!

 令和4年1月15日(土)に、第5回鳥取まいぶん講座「因幡の中世城館」を開催しました。定員一杯の申込みがありましたが、年明け以降新型コロナウイルス感染症の変異株が急増し始めた状況を踏まえ、急遽インターネットでの同時配信を行い、来所しての聴講とオンライン聴講を合わせ、20名の方に御参加いただきました。
 今回は、当センター大川文化財主事が「因幡の中世城館」として、昨年度から当センターが発掘調査を行っている「狗尸那(くしな)城跡」(鳥取市鹿野町)と、因幡守護山名氏が本拠とした「天神山城跡」(鳥取市)を取り上げました。天神山城跡では、現在の鳥取緑風高校校舎が建てられる際に発掘調査が行われ、大量の土師器皿(はじきざら;素焼きの皿)が出土しています。この天神山城跡出土の土師器皿は回転台を使わない、いわゆる『京都系土師器皿』と呼ばれるものがほとんどです。一方、狗尸那城跡の発掘調査では、地元の、回転台を使った土師器皿のみが出土しています。これに加え、山名氏が1563年に天神山城から鹿野に退去したことや、現鹿野城も改修されている可能性があることなどをもとに、狗尸那城の築造や改修の背景に迫りました。
 参加者は熱心に聴講されており、アンケートでも「わかりやすかった」などという感想をいただきました。今回のまいぶん講座は、現在開催中の企画展「因幡の中世城館」(会期:2月18日まで)と関連しており、終了後は多くの方が企画展を観覧されていました。
 次回は令和4年3月19日(土)、「因幡の古墳」です。どうぞお楽しみに。

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講座の様子


第4回鳥取まいぶん講座を開催しました!

 令和3年11月20日(土)に、第4回鳥取まいぶん講座「因幡の国府とその周辺」を開催しました。コロナ禍により人数制限をしている中、今年度のまいぶん講座では最も多い、22名の方に御参加いただきました。
 今回の講師は、因幡国古代山陰道発掘調査委員会の久保穰二朗委員長でした。講師の御専門は縄文土器から中世陶磁器まで幅広いのですが、近年は因幡(鳥取県東部)の古代寺院の瓦の研究を精力的に進められており、その成果を当センターの調査研究紀要に発表されています(調査研究紀要6~12掲載)。
 講座では、因幡国府の状況とその周辺の古代寺院について、資料とプレゼンテーションソフトを用いて解説いただきました。これまであまり紹介されていない因幡国庁の調査時のカラー写真や、講師自身の因幡を中心とした古代寺院の瓦等の研究成果を元に、国庁を中心とした因幡の国府について分かりやすく紹介いただきました。さらに、講師は学生時代に因幡国府の発掘調査に実際に参加されており、今回はそうしたエピソードも拝聴できました。
 参加